スヴェトラーノフの海


スヴェトラーノフに捧ぐ
[コレクション・ラジオ・フランス]シリーズ

ドビュッシー:3つの交響的素描「海」
スクリャービン:交響曲第4番「法悦の詩」

■エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 フランス国立管弦楽団
■録音: 2001年1月25日 パリ、シャンゼリゼ劇場、 2001年1月28日 ナント、フォル・ジュルネ
■仏 ナイーヴ


これはめったに耳にしえない、「壮絶」という言葉がよく似合う録音。
ノスタルジックなジャケット写真が色を添える。荒れ模様、グレー、不安感。確かに、こんな海だな。

スヴェトラーノフといえばロシアの重戦車のような骨太の演奏振り、というイメージがある。
例えばチャイコフスキーの『冬の日の幻想』とか、大序曲『1812年』とか。
はるか以前から、新世界レコードからたくさんのLPが出ていて、知られた名前ではあった。
しかし、心からすごいと感じたのは、晩年NHK交響楽団を指揮した、マーラーの交響曲第五番を聴いたときだ。
FMの生中継をエアチェックし、TVでも。
これ一曲だけのプログラム。とにかく遅い。そして、中身が一杯詰まっている。

個性的ではあるが、その遅さは必然であって、曲の魅力を比類ない大きさで引き出していると感じた。
長い音楽のキャリアを積んだ果てに、ついにひとつの境地に突き抜けた、そんな大家の芸術だと思った。

このディスクは、その頃のもの。彼は2002年5月に没したので、これは最晩年の記録だ。
ファンサイトによれば、この二曲は彼がもっとも多く演奏したものという。
お国ものスクリャービンはともかく、ドビュッシーの《海》とは、意外だ。録音も四種類を数えるという。

聴いてみると、確かに。曲のすべてが、すみずみまで自分のものになっている自在観が伝わる。
骨太だが、角を丸め、円を描くように優しくしっとりと奏でられる弦の音。
フォルテの部分もピアノでそっと、かなでる部分もあらわれ、はっとさせられる。
曲を知り尽くし、愛しつくした人にだけできる技だ。
そのかわり、聴き手がこの曲に期待する、弦、管、ハープのきらびやかな色合いや、光の粒がはねるような響きは抑えられ…
どこの海だろう。
陰鬱な雲の下をうねる大波が、寄せては返す光景が目に浮かぶようだ。
第2曲「波の戯れ」では、リズムをあおる指揮者のうなり声が随所に聞こえる。
第3曲「風と海との対話」巨竜の出現のような圧倒的なクライマックスに驚かされる。

スクリャービンは、正直よくわからない。
ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死」やシェーンベルクの「浄められた夜」とよく似た、音楽によるエクスタシー、という趣向の音楽と思われるのだが、さきの二曲のように、ストレートに耳に入ってこないのだ。
どんよりとうねる音の波。「海」と同じ地平にある曲として表現しているのか。うーん、わからん。
しかし、この曲の終わりのすごい間と、とてつもない長さのクレシェンドには、背筋が凍る。比喩ではなく、本当に、ぞぉーっと。

曲が終わる。歓声とともにどっと拍手が起こり、手拍子となる。が、それもすぐに止んで、会場のざわめきが残ってフェードアウト。
ふしぎな観客の反応だ。これは当惑?それとも…

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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