初任者教員に向けて作成した資料の一部です。
テーマは「道徳の授業構想と資料研究」。
「考え、議論する道徳」の時間にするためには、どんな授業構想が必要でしょうか。
それには適切な資料を選択し、そこにあらわれた「葛藤場面」にまず注目することが必要です。
たとえば、つい先日こんな新聞記事を発見しました。
これは使えそうです!
『悩みのるつぼ』 お手伝いのお礼をいただいて
朝日新聞Be 2017年5月27日
●相談者 大学生 22歳
22歳の大学生です。
先日道で、腰の曲がったおばあさまがたくさんの段ボールをカートに載せていました。段ボールは積み上げられ、おばあさま自身でも2、3個の段ボールをかかえ、歩きにくそうに、一歩一歩時間がかかっていたので、私がお手伝いしました。
お家がすくそこだ ったようで、距離としては大変ではなかったのですが、カートのタイヤが真っすぐに進まず、手間は確かにかかりました。
家につくと「ちょっと待っててね」と何度も念押しするので、私もお礼してくださる予定なんだろうな、と分かっていながら待ってしまいました。ただお礼をいただくつもりでお手伝いさせてもらったわけではないので、断ろうと思っていました。案の定、おばあさまは400円を私にもたそうとし、私は400円分の仕事はしていませんよ、と言って何度も断ったのですが、最終的に200円いただいてしまいました。
いただいたほうが、おばあさまの心も落ち着くかもしれない、と思ったのですが、別れてからすぐに後悔しました。
おばあさまのアパートは地震が来れば、壊れてしまいそうに古く、お金に余裕がないのではと思ったのです。やはり頂くべきではなかったのではないか、とずっと考えています。こういう場合、どうお断りすればよいのでしょうか。
学習指導要領で、この資料の内容にふさわしい主題名を検索すると、
2-(2)「温かい人間愛の精神を深め、他の人々に対して思いやりの心をもつ」
4-(2)「公徳心および社会連帯のの自覚を高め、より良い社会の実現に努める」
あたりでしょうか。
どちらの主題を選択するかは、生徒の実態をもとに担任が考慮し、決定します。
道徳に限らず、すべての授業は学校ごとに定められた年間指導計画に準拠して行われるのですが、
道徳には、それとは別に「学級の年間指導計画」の規定があり、実態に応じて担任が独自に計画できることになっています。柔軟な扱いが可能なのです。
もちろん「全指導項目の網羅」が前提ですが。
次に考えるのは、資料から葛藤場面を見出すこと。
ここでは、善意からおばあさんを手伝った学生が、お礼としてお金を差し出されて、何度も断りますが、最終的に半額いただいてしまいます。
この判断に後悔が残り、相談してきたわけです。
相談者は「出来事の現場」で葛藤したたげでなく、その後も「後悔」となって尾を引いています。葛藤と言っても複数のアプローチが考えられるのです。
ここでは
「何度も断ったとき」
「半額いただいてしまったとき」
「後になって後悔したとき」
のどこに着目するかで、発問は変わってきます。
従来の指導書なら
「後になって後悔した主人公の気持ちを考えましょう」といった、どちらかといえば「反省」を期待する指導が進められることが多かったのですが、
「考え、議論する」ためには、「半額いただく」という最終的な「判断」の是非に着目したほうが有効と思います。
そうすることで
「善意(人間愛・思いやり)に『代償』はなじまないのか」
という議題が浮上してきます。
これは、「考え・議論する」に値する、なかなか魅力的なテーマではないでしょうか。
簡単に答えが出る問題ではありませんが、
だからこそ面白い。
教師もひとりの参加者として、ときには挑発的な意見を繰り出して、生徒たちを考え込ませたいものです。
人生相談の新聞記事、という特徴を生かして、最後には自分なりの「返答」を書く活動を行ってみるのもよいでしょう。事前の議論が深まれば深まるほど、中身の濃い手紙が書けるのではないでしょうか。
記事に掲載された回答者の言葉は、こうです。
○回答者 経済学者・金子勝
「半返し」の知恵に込めた尊重
あなたは、好意で手伝ったおばあさんから、お礼のお金をもらってしまったことを後悔しています。古びたアパートに住み、お金に余裕のないと思われるだけに、よりその思いを強くしました。
私は相談を読んで、ドストエフスキーの『貧しき人々』を思い浮かべました。
貧しい下級官吏マカール・ジェーヴィシキンと、若くして両親を失った娘ワルワーラ・ドブロショロワの往復書簡で書かれた物語です。
マカールは、流しのオルゴール弾きのことを「みじめな端金(はしたがね)」を得ているが、「あれでも自分が自分の主人であり、自分で自分を養っているんですから。あの男は人の施しにすがるようなまねはしたくないんです」と手紙に書き、私も同じだと言います。
母親の手紙を持って物乞いにきた子どもを見て「この子は決してうそをついているわけではない」が、「その母親は単なるペテン師で、人を欺くために腹を減らしたひ弱な子供をわざと物乞いに出し、ほんとうに病気にさせてしまうつもりなのか」と怒り、一方で、横領事件に巻き込まれて職場をクビになった友人を「ほんとうに気の毒」だと心から同情し、なけなしの20コペイカをあげます。
マカールは、人としての尊厳を守る生き方の基準を持っています。貧しくても、自立して生きようとする気持ちを心の拠(よりどころ)にしている人は助けようとし、人を欺いて善意を引き出そうとする者には怒りを覚えます。また、同情や善意を押し売りすることも、人の尊厳を傷つけることでは同じだと感じています。
相談のおばあさんの話から、この小説を想起したのは、老いて貧しくも、自分の力で誇りを持って生きる姿勢という点で、相通じるものがあると思えたからです。
あなたは、お金目当てで助けたのではないという気持ちから、お金を返しました。
おばあさんは、あなたのその気持ちをくんで半分渡しました。私は、この「半返し」をあなたが受け入れたのは、結果的にとてもよい選択だったと思います。自立して一人で生きているというおばあさんの矜持(きょうじ)と、人を助けたいというあなたの優しさの両方にうまい具合に折り合いをつける結果になったからです。
生きていると、相いれない気持ちに折り合いをつける必要に遭遇することが度々あります。今回がそうです。それは互いの人間性を尊重した生きる知恵だと考えれば、これでよかったのです。
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