朝比奈隆、二度目のシカゴ公演のライヴ音源を発見!

朝比奈隆がシカゴ交響楽団を指揮した二度目の公演の記録が世に出た。

1996年10月の演奏。
出所は、Youtubeに投稿された音源である。




1996年5月におこなわれた朝比奈隆指揮、シカゴ交響楽団の初公演は、当時随分話題になり、NHKもクルーをシカゴに送り込んで、テレビ収録が行われた。
曲目はブルックナー交響曲第5番
今考えると、著作権や放送権にうるさいアメリカで、しかもこの曲目。よくぞ番組収録ができたものだ。当時、クラシック・ファンの枠を超えて広がっていた朝比奈人気が後押ししたのだろうか。

まもなくブルックナーの交響曲第9番をメインとした二度目の公演開催の報があったが、さすがのNHKも二度目の収録は無理だったらしい。FMでの放送もなかった…はず。
5月の公演がDVDとして発売されたのは、それから10年後。



もちろんネコパパも喜んで購入したが、
二度目の公演記録がそのさらに10年後、2016年に世に出るとは、
まさに青天の霹靂だ。

とはいえ、聴く前には不安もあった。
初公演のDVDについてのネコパパの印象が「貴重な記録」どまり…というものだったからである。
その最大の理由は音質。
画質は鮮明だが、音があまりにデッドだ。明るく強い金管が強靭な音を押し出してくるのは、いかにもシカゴ響らしく豪快だが、この響きは、指揮者の音楽、作曲家の音楽とどうもソリがあわない。
また、演奏自体も、最良とは言いにくいところがあった。
遅く、不動のテンポを保ちつつ、フイナーレに向かってじりじりと盛り上げていく、いつもの朝比奈スタイルを貫いていたが、音がカサついて溶け合わない感触が最後まで気になった。
彼の演奏に心酔して招聘を決めた当時の楽団長、ヘンリー・フォーゲルの思い入れは、必ずしもメンバーに共有されていないのでは、という気がした。
はじめてTVで視聴したとき、世界水準のメジャー・オーケストラも、朝比奈とは相性がよくないのかな…と思ったものだ。

ところが、今回聴くことができた二度目の公演では…
まったく様相が違っている!

演奏された曲目は

ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
ブルックナー 交響曲第9番 ニ短調

朝比奈 隆指揮 シカゴ交響楽団
1996年10月26日(土)オーケストラホール(シカゴ)


 Wagner 
DIE MEISTERSINGER VON NÜRNBERG
Prelude to Act I
Chicago Symphony Orchestra
TAKASHI ASAHINA, cond.
Recording: Orchestra Hall, Chicago, 24 October 1996



最初に演奏されたマイスタージンガー前奏曲は
冒頭から凄い音圧とテンポの遅さに圧倒される。地響きのするような演奏だ。
演奏時間11分59秒。
いつも遅めのテンポを取る曲ではあるが、約12分というのは珍しいのではないか。
初顔合わせのブルックナー第5では、いつものペースを守りきった朝比奈だが、
二度目の公演ではオーケストラの特性を考慮して演奏スタイルを変更したと思われる。
彼の結論は、金管のきらびやかさを抑制し、強靭さを押し出すこのテンポだった。

Bruckner
SYMPHONY NO. 9 in D minor
I. Feierlich, misterioso 
II. Scherzo. Bewegt, lebhaft – Trio. Schnell 
III. Adagio. Langsam, feierlich 
Chicago Symphony Orchestra
TAKASHI ASAHINA, cond.
Recording: Orchestra Hall, Chicago, 24 October 1996



ブルックナーの交響曲第9番。
演奏時間72分16秒。

朝比奈には、日本のオーケストラとの録音も複数あるが、いずれも65分前後で演奏している。
それでも、他の音盤に比べれは、遅いほうである。
だから、この表示を最初見たときにはとても信じられず、「もしかして、最後に長い拍手が収録されているのかも…」と思ったりしたのだが、拍手抜きの時間であった。

ワーグナー同様、中身のぎっしり詰まった音で、じっくりと歩を進めていく。
フレーズの間はたっぷりと間をおき、叙情的な第1楽章、第3楽章の第2テーマでは、さらに遅くなる。
何より目立つのはフレーズの入りと終わりを遅くすること。
特に終わりの、フェルマータのついた部分などは、いったいどこまで引き伸ばすのかと思うほど、はてしなく長く続く。
こういう箇所、たいていの演奏ではディミヌエンドをかけ、ピアニッシモの彼方に音が消えていくように奏されるのだが、朝比奈の場合はそれをしない。
最後まで強めの音を維持して、きっぱりと止める。
ときには、自然な減衰に逆らって、敢えて強めを維持しているようにすら感じられる。
そのために、弦の刻みや内声部の細かな木管の動きが、ストレスなく、くっきりと耳に届けられるのである。
シカゴ交響楽団との演奏では、テンポをぎりぎりまで落としているために、「弱音部分の克明さ」が顕著だ。
朝比奈は響かないホールの特性と、金管の強大な音量と正確な音程を生かすには、このテンポしかないと考えたのかもしれない。

ネコパパはこの演奏をどう受け止めたか…
初顔合わせの「第5」よりも、こちらは、はるかに言いたいことを言い尽くした演奏になっている。
ちょっと重すぎ、やりすぎで、大フィル盤、新日フィル盤で聞ける「瑞々しい晴朗さ」が奥に引っ込んでしまった観も…ある。
ただ、シカゴ響の弦楽器も管に負けないくらいしっかりと鳴り切っているので、音質がもっと良ければ違う印象になるかも。
とにかく、初公演と違って、やりたいことをやりつくしている演奏であることは確かだ。繰り返し聴く価値は十分。
できれば状態の良いマスターからの正規発売が望みたい。

音質といえば、ちょっと不思議なのは、
この音源、初顔合わせのDVDのような乾いた音ではなく、響きも十分に感じられる音になっていることだ。
シカゴ・オーケストラホールはどうしようもなくデッドな会場と思い込んでいたが、聴く場所によって違うのだろうか。
マイク・セッティングの違いによるもの?
まさか放送局のエフェクトのせい?

同じ投稿者による初顔合わせの音源も公開されている。
NHKが収録した5月16日と同日の録音とされているが、
別回線で収録した放送音源なのだろうか。なんとなく音が違うような気もする。




いずれにしても「貴重な記録」を越える内容だ。
ぜひ、多くの人に耳にしてほしいが、いつまで聴けるだろうか。著作者の抗議があれば、たちまち消去されるかもしれない。
ネコパパは早速MP3に変換して、I tunesに保管した。こういう行為が認められるのかどうか、不安はあるけれど。

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コメント

コメント(8)
No title
有難うございました。早速DL致しました。
音質は御指摘の通り宜しく無いので、現在当方で調整中です。このテンポでこの音質ではちーと辛いので。

弦は抜群に上手いですな。所々木管と噛み合わない部分もありますが、モヤモヤした音質が改善されれば中々の名演だと思います。

quontz

2017/05/23 URL 編集返信

No title
> quontzさん
アメリカでは主要なオーケストラの公演はほとんどFMで中継されるそうですが、著作権の国だけあって、正規盤として発売されることはあまりないですね。
ただ、メジャーレーベルが衰退した代わりに、シカゴもボストンもNYPOも、自主制作でCDやダウンロード販売を行っている様子。望みがあるとすればシカゴ響の自主制作盤です。
キング・インターナショナルとか東武トレーディングあたりが後押ししてくれるといいんですが…担当者の方、この記事見てませんか?

yositaka

2017/05/23 URL 編集返信

No title
やはり、名演だったのですね。
商業的にも、これを放っておく手はないでしょう。(笑)

Kapell

2017/05/24 URL 編集返信

No title
> Kapellさん
日本には、朝比奈隆の未発表音源の発売を手ぐすね引いて待ち構えているファンが、まだまだ多いのではないかと思います。
1975年、聖フローリアンでのブルックナー7番のLPが、15000円で売れるくらいです。このシカゴとの9番は、音さえ良ければそれに匹敵する内容かもしれず、採算も取れると思います。
それにしてもこの二曲、朝比奈としても異例といえるほどの個性的演奏にも関わらず、そのことを誰も指摘しなかったのは不思議です。
何の情報もないので、きっと「第5」と同じような演奏だったのだろう、と思い込んでいました。聴けて、本当によかった!

yositaka

2017/05/24 URL 編集返信

No title
旧愛好会に続いて、交流会でも会長や会員とこのシカゴ公演については顔を合わせれば、議論を尽くした感はあります。
放映権、著作権レベルの些細なことで陽の目を見ない浮世の表層的な部分で前に進まないであろうことは、もういってもしょうがないんでしょう。
会長にとっても私にとっても、朝比奈先生が残した遺産のいくつかは
1951年のフルトヴェングラーのバイロイトや1944年のウィーンフィルとのエロイカと同一のクラシック音楽界の歴史的な究極の遺産であることがいつ?認識され普及されるのか?
シカゴ響の財団もしくは放送局が所有しているのなら―もうどうでもいい 次世紀にも及ぶ、どれだけの商業価値、金銭価値を秘めているのか、何もわかんないんだろうなー(笑)

mae*a_h*210**922

2017/05/24 URL 編集返信

No title
>老究さん
音楽遺産の価値の認識は「聴く」ことを通してしか立ち現れません。こうしてネット音源となれば、聴く人も、語る人も増えるはず。
音源の所有者、管理者というのは、得てしてそれ自体の価値を知らないことが多いように思います。
それどころか、演奏者本人だって気づいていないこともあります。著作権を盾に発売を認めない人たちも存在します。
音楽の価値を决めるのは、聴き手です。とすれば、聴いた人が口伝えにでも価値を伝えていくしかないのでしょう。

yositaka

2017/05/24 URL 編集返信

No title
著作権や私有権を縦に公開しないという事例はたくさんありますね。たとえばプッチーニの初期の習作は閲覧すら認めない所有者だそうです。映画でも石原プロみたいに最近まで公開すらしない会社があったりです。ある程度経過すると、共有財になると思うのですが、出し惜しみは本当に怒りを感じます。

SL-Mania

2017/05/24 URL 編集返信

No title
> SL-Maniaさん
同感です。著作者の権利の大切さは十分に承知していますが、
それでも一度公表された作品は、その時点で作り手の手を離れ、独立した作品として成立したととらえるのが原則ではないでしょうか。たとえ作り手が後に不本意と感じたとしても、なかったことにすることは決してできない。ものを「生み出す」とはそういうことではないでしょうか。

yositaka

2017/05/24 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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