黎明期の歴史児童文学

黎明期の歴史児童文学-「歴史読本」から「日本お伽話」まで
勝尾金弥
1977.6.28 アリス館




本書は明治期の歴史児童文学に関する貴重な研究書である。
出版された1977年の時点では、ほとんど手付かずの分野を開拓した先駆的な書であったが、現在の目で読んでも内容的にまったく「現役」であることに驚く。

勝尾は序章として三輪弘忠「少年之玉」(1890 明23)の内容を提示し、これを明治期次々に出版された歴史児童文学の諸作品と対比させることで、これらの作品がいかに忠君愛国を是とする国家主義に彩られていたかを明らかにしていく。
作品の特徴的な部分を引用して克明に読み、使用語彙を類別、集計して「テクスト自体に語らせる」。客観に徹した研究論文だが、行間から自ずとあふれ出る現代児童文学の書き手としての立ち位置ー過去の作品を検証し、現代の視点で問題点を洗い出し、未来への礎にしたいという強い願いが感じ取られる。

■排除された開化主義

日本の近代児童文学の出発点をどこに置くかについては諸説あるが、長らく定説となってきたのは、巌谷小波の「こがね丸」であり、それは同作が新聞評などで当初から高い評価を受けたことも大きい。
一方で、そのわずか2ヶ月前に出版された「少年之玉」は、ほとんど黙殺といってよい状況となっていた。
ではなぜ筆者は敢えて「少年之玉」に注目するのか。
「少年之玉」は文学性の高い作品とは言えない。話としては類型的な立身出世物語である。しかし作品を貫く軸には斬新さがあった。「電気会社設立」に邁進する主人公を描く先進性と、個人の成功を賞賛する「開化主義」が存在していた。
それは、まもなく日本を席巻する国家主義、忠君愛国の思想を含まない作品であった。
日本の児童文学はこれを出発点とする道もあった。
しかし現実に人々が選び取ったのは、伝統的倫理観に基づく「仇討ち」をストーリーとした「こがね丸」の方だった。

■「死の讃歌」に溢れた歴史読み物の普及

本論で勝尾は、その「こがね丸」を出版した博文館(1888〈明治20〉創立)が、それ以後どのような出版活動を行っていったのかを、歴史読み物叢書を中心として検討していく。

「こがね丸」を含む「少年文学叢書」の完結後、同社が企画したのは歴史人物を取り上げた伝記風の物語叢書「家庭教育・歴史読本」(1891~92)
さらにその完結後は「新撰日本外史(1892~94)を刊行。後者は「歴史読本」とは違って時代順の少年向き通史という体裁をとっていたが、内容は前叢書と同じく、学問的正確さよりも「天皇崇拝」「忠君愛国」の色で染め上げた歴史読み物であった。
これらの著者は国文学者、落合直文小中村義象とされている。両叢書は版を重ね、子ども読者も含め一般に広く普及したと見られる。

文章は「おもしろさ」を旨とし、
「天皇崇拝」「忠君愛国」の思想が顕著にあらわれた美文、檄文の多用された文体を特徴とするものであった。
特に熱狂的な尊王論者であった直文の作は「死の文学」「死の賛歌」で、主人公、とりわけ美少年の若武者の死の壮烈さの描写は鬼気迫る。言語表現の分析からも、過剰な心情描写、「あはれ」の多用(反復)「泣く、涙」の多用が顕著である。
直文描く「若武者の戦死の美化」は、のちのち、戦後に至るまで、日本人の美意識に生き続けているのではないか、と勝尾は述べている。

博文館は同叢書完結後、さらに大和田建樹著「日本歴史譚」(1896-99)を出版。
これは伝記と通史を折衷した読み物で、筆者は「鉄道唱歌」や軍歌の作詞として名高い人物。直文と比較すると筆致はやや穏健、客観的な筆致が見られるものの、国家主義的路線は変わらず、ことに日清戦争の時期の出版だけに、対外的な国家意識高揚、富国強兵意識強化への志向は強いものがあった。

一方「こがね丸」「日本昔噺」で好評を博した巌谷小波も、その続編として「日本お伽話(1896-99)の企画を立ち上げる。
タイトルは前作と似ているが、後者は歴史人物を題材とした物語が多く「歴史もの」の色が濃い。教訓を重んじているところは前作を踏襲するものの、「こがね丸」以来の特徴だった戯作調、会話の多用は影を潜め、国家主義的色彩の表現にも適した「講談調」への変貌かみられるという。

■子どもへの愛の行方は…

本書は原文からの引用が多い。
明治期の子ども読み物は音声を意識したリズミカルな文体で、そこに感情を鼓舞するような、煽りの言葉が頻出、筆者の強烈な主観に引きずられていく。
そのことごとくが国粋主義、皇国史観、臥薪嘗胆の賞揚に彩られているのは、読んでいて息苦しくなるほどである。
熱狂的な尊王論者であった直文の文章はとりわけそれが顕著だが、彼とは逆に、温雅を好み客観を重んずる教養人といわれる建樹も、文章の細部はともかく、基本的な作品の方向性は変わることがなかった。

やりきれない思いにさせられるのは、
落合直文にしても、大和田建樹にしても、当時としては度を越すほどの子ども好きであったという事実である。
子どもを溺愛し、子どもと遊ぶ時間を何よりも大切にしたという彼らが、子どもの本の読み方、子どもを引き付ける文章の書き方熟知していたことは、筆者が読み解く「おもしろさ」を演出する工夫の数々からみても、容易に想像できる。
巌谷小波に比する「子どもの本の書き手」の素質を、彼らも存分に持っていたのだ。
そんな彼らが精力を注いで執筆したかに思われる作品が、子どもたちを間接的に「死につながる道」に追いやる結果になっていたとすれば…それはなんと皮肉なことだろう。
悲劇といっていいかもしれない。

さらに、当時は当然のごとく繰り返し語られた「若者の美しき死」を賞賛するという美意識が、勝尾の言うように「戦後に至るまで生き続けている」としたら、
それは私たちが意識下に抱えている、死を求める衝動を発動させる「恐ろしい火種」と呼ぶこともできるかもしれない。
本書は、長い時間をかけて醸成された、私たちの価値観の有り様を問い直す一冊でもある。

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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