絵本テクストは文学か?

「日本児童文学」2017年3-4月号 小峰書店




雑誌「日本児童文学」が絵本テキストについての特集を組んでいる。
絵本と児童文学は近くて遠い関係、と呼べるのではないかと思う。
ちなみに「絵本テキスト」とは絵本のなかの言葉て書かれた部分を指しているようだ。個人的に「テキスト」は学習用副読本、教科書のイメージなので、以下「テクスト」と表記する。

「児童文学」は長年「絵本」との親密なかかわりを続けてきた。
「絵」と「テクスト」のコラボレーションであるこの分野は、厳密には「文学」の一分野とは言いにくい。
テクストだけを取れば文学、という見方もできるのかもしれないが、
といってテクストだけを論じても絵本を論じることにはならない。文学の一ジャンルとしての位置を保ちつつ、絵も取り込んで論じるのは、なかなかに困難なことである。

では、なぜ関わり続けてきたのか。

まず思い浮かぶのは、「子どもの本」に「絵」は不可欠の要素であるという事実。
これについては山ほど論じるべきことがあるが、ここでは、子ども読者にとって絵は、言葉と同等か、それ以上の意味を持っていることだけを押さえておこう。
次いでは、絵本を児童文学の一分野と位置づけることによる現実的なメリットがある。
一般読者にとって、絵本は「児童文学」よりも遥かに身近なメディアだ。大多数の人にとって、「子どもの本」とは児童文学ではなく、絵本なのではないか。おそらく児童書の売上のかなりの部分を占めているはずである。

1970年代、児童文学を「文学」と同等のものにしようとする動きがあった。
その大きな力になったのが、関西を中心に活動した今江祥智、上野瞭、灰谷健次郎、奥田継夫らであり、彼らが活動の拠点となったのは雑誌「月刊絵本」(すばる書房)である。
この雑誌は、元々「日本児童文学」の別冊として企画されたものだった。彼らの活動についてはいずれ腰を据えて論じたいが、彼らがとったのは「絵本」を前面に出すことで子どもの本への関心度を高めようという「戦略」だったように思われる。

そんなふうに、絵本と児童文学の関係は結構入り組んでいる。
せっかくの特集なので、こうしたジャンル対ジャンルの絡み合いについての論考があると面白いな…と期待したのだが、残念ながらそれはなかった。

で…その内容は。

特集 絵本テキスト考 目次

「絵本とは、絵本入門」……石井光恵 
「絵本テキスト私論」……内田麟太郎 
「絵本テキスト・私見」……鈴木出版編集長 波賀 稔 
 絵本エッセイ あ・ら・かると 
「第九回絵本テキスト大賞の選考を終えて」…大熊 悟
「国と国ができないことも、人と人ならできる━世界の絵本を探し続けて━」…小川悦子
「自作『おかお おかお おかおだよ』について」…スマ
「絵本との生活」…高畠那生
「忘れられない一冊」…福音館書店編集部 唐 亜明
「ナンセンス絵本を書く理由」…二宮由紀子
「絵本テキスト大賞受賞作について」…石本 湖
「夢を追いかけて」…森くま堂



 
注目したいのは、石井光恵(研究者)内田麟太郎(絵詞作家)波賀 稔(絵本編集者)の評論。
それぞれの立場から「絵本テクスト」とは何かを明確に論じていてたいへん面白かった。

■「こころざし」のあることばを

始めの石井光江「絵本とは、絵本入門」は、タイトルとは違い、やや乱暴にまとめてしまえば、絵本から「文学」としての言葉を奪い返そうとする提案のように思える。

石井はまず、最近のビジュアルに特化した絵本を次々に例示していく。
お母さんのおっぱいが見開きいっぱいに全開する『あかちゃん』(2017ブロンズ新社)を例示して「どうしてあえて…」「多少過激」と評する。



タッチパネルを模した『まるまるまるのほん』(2010ポプラ社)を、「描いた絵と文のみで、読者の絵本への働きかけを促している」と感嘆する一方、ビジュアル面の進化に反比例するように、テクストは話し言葉的なものが増え、オノマトペが多用される。
絵の力が強くなるほど言葉はあまり必要ないという認識が横行してしまう。
「絵本の言葉の力も強くあるべきで、弱くなってしまっては良い絵本とは言えません」
「そのことばでしっかり言葉の世界が成り立ってこその絵本なのです」
石井の恐れているのは、ことばの弱体化である。

では、筆者の考える理想的な絵本のテクストとは何か。
言葉だけで自立し、物語ることを弱めず、人に向かって何かを差し出したいと願う「こころざし」の存在するもの、と石井は述べる。例えば
シュタイナーうさぎの島



阪田寛夫だくちるだくちる』のように。
現代の絵本を見ると、そこには「伝えたいことの希薄化」が見えてくる。芯となる物語があり、語るべき事が的確に語られる言葉が必要だ、としている。


■文学よ、さようなら

一方、内田麟太郎「絵本テキスト私論」は、そんな「テクスト自立論」に真っ向から対立する「絵詞作家」のあり方を主張する。
「絵本の言葉は文学ではない」
「文学よ、さようなら」
と言い切る。絵本のテクストは文学者の矜持(=石井の言う「こころざし」)を捨てなければ、書くことはできない、と内田は言う「なぜなら、画家を殺す事になるからです」

「絵本のことば、それは画家を信じて書くことばです」
「ページごとに絵をくっきりと思い浮かべながら書くことば」
「童話をそのまま画家に渡すのは、画家を信じられない不安感がそうさせる。(それは)絵本ではなく絵童話である」
内田の例示する西村繁男との絵本『がたごとがたごと』のテクストは、石井の述べる全くその通りの、「話し言葉的で、オノマトペが多用される」「弱体化したことば」とみることができよう。



しかしそれこそが、内田の言う「画家を信じて書く言葉」なのである。

そんな石井と内田が、絵本表現のマイルストーンとして認めるのは、同じ一冊の本。
「絵本が絵で語ることに目覚め、その力に磨きをかけることになる一冊」(石井)
「絵本は80パーセントのスペースが画家のものだ」(内田)

それは、レオ・レオーニ『あおくんときいろちゃん』(至光社)である。




石井はここから
「言葉は絵と拮抗する力を持たなければならない」
と考え、内田は
「(絵本では絵と言葉は対等と言われるが)絵が死んでしまう対等はありえない」
と、絵を最大限に生かすテクストづくりに向かっていく。

いずれか一方の立場を是とすることはできない。
重要なのはこの両者の「落差」の外ではなく、内側に創造の源がある、ということではないだろうか。

■大人がいくらしゃがんでも

絵本を作り出すのは、しかし画家と書き手だけではない。同じくらいに大きな存在が編集者である。
絵本編集者、波賀稔の「絵本テキスト・私見」は、ある意味「水と油」のような、石井、内田両論を巧みに結びつける。まさに編集者ならではの視点を示す。

「行間を絵にするのが、画家の役目。ということは、テキストの書き手は、画家が行間を読み取れるような書き方をする必要があるのかもしれません。文章で全部書いてしまうのではなく、画家あるいは読者が想像を膨らませる余地を残した書き方というのが、絵本のテキストとしてふさわしいのではないかと思うのです。でも、その前に編集者が読み取ってくれないと困るのですが…」

石井、内田と芳賀の最大の違いは、ここに「読者」の視点が大きく入ってくることだろう。
出版という業種で、編集者とは「お得意様」としての読者をもっともよく知る人物ではないだろうか。

「大人がいくらしゃがんで子どもの目の高さになっても、それは大人がしゃがんだだけ。子どもの心を理解し、リアルな子どもの姿を書いてほしいと思ってます。また、子どもは幼くても幼稚ではありません」

波賀が述べる10項目の「絵本テキストのチェックポイント」は、絵本のみならず児童文学にも通用するアドバイスと思われる。
感心のある方は、ぜひ本書を紐解いていただきたい。

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コメント

コメント(2)
No title
これは興味深い話題です。日本文学では御伽草子研究が、絵本研究と類似しています。御伽草子は、中世小説、室町時代物語などとも呼ばれますが、かつて角川書店から出た室町時代物語大成は、ばっさりと絵をカットして、文字テキストとして供されたのですが、1980年代辺りから、文字と絵とを併せて考察しないと文学としても研究できないと、絵と物語との併せ技を分析する方向に変わりました。文学を文字テクストに限定するのも、美術を絵画に限定するのも、貧困な読みしか提供しないという反省が、御伽草子研究から生れたのでした。文学でも絵画でもなく、御伽草子というジャンルなのだという理解です。絵本は、そういうゴセンゾサマの研究をどこまで射程に入れての議論なのでしょうか?

シュレーゲル雨蛙

2017/05/17 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
児童文学学会とは別に絵本学会があって、そちらでは絵や言葉や音声も含めた多面的な視点で研究が行われています。
なかでもネコパパは機関誌BOOKENDに掲載されている村中李衣さんの論考には刮目しているのですが、彼女もまた優れた児童文学作家です。そうした相互乗り入れを続けながら研究が深まっていく姿が望ましいのでしょう。

ゴセンゾサマの研究について。
児童文学史も絵本史も、明治以降の近代を対象とすることが目下のところ普通で、それ以前に遡る研究はほとんどないのではないでしょうか。それ以前となると「子ども」概念の成立から始める必要がありますし、何より明治大正期の検討すらも手つかずの部分が非常に多い。
その一方で、研究者の数はごくごく少ないというわけです。

yositaka

2017/05/18 URL 編集返信

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Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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