桑原武夫さん蔵書1万冊を廃棄 寄贈された京都市教委

こんな記事が新聞に。

桑原武夫さん蔵書1万冊を廃棄 寄贈された京都市教委
朝日新聞デジタル 2017年4月28日05時04分




仏文学者で京都大名誉教授の桑原武夫さん(1904~88)の遺族が京都市に寄贈した蔵書約1万冊について、市教育委員会は無断で廃棄していたと27日発表した。市教委は生涯学習部の担当部長の女性(57)を減給6カ月の懲戒処分にした。

桑原さんは87年に文化勲章を受章。京大人文科学研究所を拠点に率いた新京都学派から、哲学者の鶴見俊輔さんや梅原猛さんらが育った。学術的価値が高い蔵書は生前に京大に寄贈され、残った全集や文庫本などの約1万冊が没後の88年、市に寄贈された。

市教委によると、寄贈当初、蔵書は桑原さんの書斎を再現した記念室で保管。2008年から目録を市右京中央図書館で公開し、蔵書は別の場所で段ボール箱数百個に入れて保管した。15年12月に整理した際、当時同館副館長だった担当部長の判断で廃棄したという。

担当部長は「図書館と蔵書が重複し、目録もあるため廃棄してよいと考えた。遺族に相談すべきだった」と話しているという。市教委は「桑原先生がどんな本を読んでいたかをうかがえる資料だった。廃棄は不適切だった」としている。

今年2月に市民からの問い合わせで発覚。市教委は遺族に謝罪した。桑原さんの遺族は取材に「重要な資料が行政機関で引き継がれなかったのは信じがたい。残念だ」と話している。



■同じ1万冊の本が…

桑原 武夫といえば
近代日本のフランス文学・文化研究者、評論家として、戦後の社会思想に大きな影響力をもったひとりで、「新京都学派」と呼ばれる学者グループのリーダー的存在だった人。

京大人文研を根拠地として、学際的な、共同研究システムを推進したことでも知られ、梅棹忠夫、梅原猛、上山春平、鶴見俊輔、多田道太郎ら、多くの文化人を育成した人でした。

ネコパパにとって初めての出会いは、高校の現代国語資料集に掲載されていた「第二芸術」(『世界』1946年)という小論です。
ここで桑原は、大家の作品のなかに無名の作者のものを混ぜた15の俳句作品を並べ、俳句の分野では、作品そのものからは素人と大家の優劣をつけることができないと断じます。
それでは評価の基準は何か。
桑原は、このジャンルで「大家」と目される条件は作品そのものではなく、党派性によって決められている考えました。
ここから、彼は近代化によって複雑となった社会の現実は、もはや俳句という形式には盛り込み得ないもので、もはや第一級の芸術とは呼べないもの、あえて言えば「老人や病人の余技にふさわしい第二芸術」であると結論づけたのでした。

この論の革新性に気づかせてくれたのが、ネコパパの長年の友、sige君でした。
大学に入学してまもなく彼と知り合ったネコパパは、sige君が間借りしていた、湿っぽい学生アパートの一室にしばしば上り込み、
彼が机替わりにしていた粗末な木箱を囲んで口角泡を飛ばして喋りあったものでしたが、そんな雑談の中に、出てきた話題の一つが「第二芸術」でした。

確かにどこかで見たはずだと思い、自宅の書棚を確かめてみると、
紙質が悪く、すっかり黄ばんでしまった資料集のなかに、ようやく見つけることができました。
既に児童文学に相当のめり込んでいたネコパパは、これを読んで
「これは、俳句だけの問題ではない。児童文学にも当てはまるのではないだろうか」と思ったものでした。
子ども読者は、党派性は愚か、作者が誰かも関心はなく、ただ、おもしろいかどうかで評価する。桑原武夫の読みの視点は子ども読者に近いのかもしれないと感じたのです。

それからまもなく読んだ岩波新書『文学入門』(1950)でも、同じことを感じました。
本書は「文学は、はたして人生に必要なものであろうか?」と大上段に振りかぶって始まるのですが、そのあとすぐトルストイの『アンナ・カレーニナ』を四回も読んで飽きないという話になり、
「文学は人生に必要か、などということは問題にならない。もしこのようなおもしろい作品が人生に必要でないとしたら、その人生とは、いったい、どういう人生だろう!」と言い募る。



やっぱりそうか。
この筆者は文学はおもしろさと考えている。
真面目くさった深刻な言い回しを好む人々とは、一味違う。

まだまだ文学の社会的ステイタスが高かった1950年という時代にそれを主張するのは、かなりの勇気を必要としたことでしょう。そんな桑原の柔軟な発想、思うところをストレートに、明快な言葉で述べる率直さが、文学だけにとどまらない、学際的な研究の場を生み出していったのかもしれません。

さて…そんな桑原武夫の名に久々に接した記事がこれでした。
どうにも、ぱっとしない話です。

「あちら」にいる桑原氏はこの記事を読んでどう思われるでしょう。
説明によると、廃棄されてしまったのは
「学術的価値が高い蔵書は生前に京大に寄贈され、残った全集や文庫本などの約1万冊」
ということです。
亡くなって30年近くになるとはいえ、
図書館と蔵書が重複している、とのことですから、まあ、読書好きの人なら普通に読み、架蔵している書籍が多かったのでは、と推測されます。

この内容から、二つのことを読み取りました。

ひとつは、中央図書館副館長の地位にある人(ネコパパよりも幾分、年下です)にとっても、桑原武夫の名は、すでに畏敬の対象ではなくなっていたという事実。
もうひとつは、情報化社会では、いかな人物の所有であったとしても、「彼が所有していた」という事実だけでは「重要な資料」とは見做さない価値観が、一般的になってきているのではないか…という実感です。

元副館長と、市教委と、遺族。
「もの」としては同じ1万冊の本が、立場によって違う価値観で見られている。

ネコパパの私見では、
いかな「貴重な資料」も「段ボール箱数百個」に押し込められているだけでは無きに等しいと思います。
廃棄されたことを「信じがたい」と述べている桑原さんの遺族の方々も、寄贈本のゆくえや管理方法に、はたしてこれまでどれだけ関心を注いできたでしょうか。存在するだけで尊重されると信ずる。そこに油断があったのかもしれません。

そう思うと、この出来事は、 亡き桑原武夫が「第二芸術」よろしく、後世の人々に「本とは何か」を論ずるために仕掛けた、ちょっと意地悪な問いかけなのではないか、という妄想も浮かんでくるのでした。
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コメント

コメント(11)
No title
この記事とは直接関係ないのですが、みっちが中学生だったとき(当然半世紀前のことです-笑)、桑原武夫さんが学校に来られて、講演をされたのです。
生意気盛りのみっち達は、「第二芸術論」のことも聞きかじっており、講演ではさぞ有益な話が聞けるのであろうと、それは楽しみにしておりました。
ところがですねぇ、その講演の内容は、全くお子様相手のレベルの内容でありまして、みっち達はいたく失望したのです。みっち達の担当の国語の先生も、「あれはちょっと程度がぁ...」と云われてました。
みっち達は、「あれは絶対小学生相手と間違えたのだ...」と息巻き(爆)、残念ながら、そんな思い出しかないのであります。(笑)

みっち

2017/04/30 URL 編集返信

No title
これは価値観の変化よりも確認不足の要素が強いです。こういうことは桑原氏の蔵書だからことで騒ぎになっていますが、一人で判断してしまう危うさです。こうしたことは我々にも起こり得ることで、現に戒められるべき事案です。そして、経営者なり上に立つ者は一番忌避することでもあります。それを許す組織は大いに弛みがあると云わざるを得ません。価値観のズレも否定しませんが、それだけで片づけてだめではないでしょうか。

SL-Mania

2017/04/30 URL 編集返信

No title
他人事では無い話で、当方の山程有る蔵書と音盤は、我が突如息絶えた場合に如何なる事になるのであろうか、と思い巡らせて仕舞います。
今の内に遺言を認めて置かねばいかんですな。

quontz

2017/05/01 URL 編集返信

No title
> みっちさん
半世紀前とはいえ桑原武夫さんが中学校で講演されていたとは驚きですね。
「面白くなければ研究ではない」と考えていた氏の講演は、漫談が多く、とても親しみやすいものだったそうです。
相手が中学生ということで、一層拍車がかかったのかもしれません。でも、お子様相手のレベルにみえて、案外深い意味が隠されていたのかも…

yositaka

2017/05/01 URL 編集返信

No title
> SL-Maniaさん
一人で判断してしまう危うさ、というのは確かにあるでしょうね。館長や遺族に相談していれば今回の事態は避けられたはずです。
しかし副館長は、桑原の蔵書であることは承知の上で廃棄を決めたと読めます。
おそらく職責として、その他の寄贈本と同じ基準で廃棄したのではないでしょうか。
同じような内容の本であっても、寄贈した人によって廃棄・保存を区別する考えが、彼にはなかったのです。それをカバーできなかった組織の弛みも確かにあるのでしょうが…

yositaka

2017/05/01 URL 編集返信

No title
> quontzさん
いや、全く同感です。私は日頃から「欲しいものだけは残して、あとは処分してね」と言っていますが、家族は「自分で処分してから死んでほしい」と考えているようです。もちろんできればそうしたいのですが、万が一のために信頼できるお店を決めておきたいとは思っています。
私は自治体や図書館に寄贈なんて、全く考えていません。墓場と同じですから…

yositaka

2017/05/01 URL 編集返信

No title
> yositakaさん、要するに仕事をしていないのでしょう。仕事をしているフリということです。こんなことだと大事なものも全部失ってしまうでしょうし、いいかげんな扱いをしないところへは寄贈もなくなることでしょう。貴重な書籍だけでなく信頼も失ったということです。

SL-Mania

2017/05/01 URL 編集返信

No title
> SL-Maniaさん
いいかげんな扱いをしないところへは寄贈もなくなる…
おそらくそういう結果になるでしょうね。
問題の右京中央図書館がどのような性格の図書館かはわかりませんが、一般の公共図書館に資料価値のある本の有効管理は無理、ということなのかもしれません。

yositaka

2017/05/01 URL 編集返信

No title
> チャランさん
廃棄されたという数百箱の中身がわからないので、副館長の行った「精査」の有効性が判断できないのですが、
仮に処分の理由が仕事の内容ではなく単に「高名の寄贈者の蔵書だった」ことだけだったとしたら、本人は憤懣やるかたない気分かも…
勝手な憶測に過ぎませんが、桑原武夫本人は自分の蔵書というだけで、すべての書籍が価値あるものとは考えていなかったのではないでしょうか。
放送局の貴重な録音遺産を処分するのは言語道断、と日頃考えているネコパパですが、それは「代わりがない」からです。
書籍はすべてが唯一無二の価値を持つものではなく、精査すべきものと思います。副館長の行為の是非は、もう少し情報を得てから判断すべきでしょう。

yositaka

2017/05/03 URL 編集返信

No title
父親の蔵書1.5tonを廃棄した者としては、副館長の立場が良く分かります。父の蔵書の多くは、学会誌で研究テーマの論文が絶えず新しく発表され母も親族が関係する仕事に従事したら贈るとして増え続けておりました。母が亡くなり リホームの為、蔵書を整理したら研究レベルの判る各学会設立時の1号から10号が父が退官時に寄贈して無い。
発行部数の少ない大日本帝国学会~昭和30年日本学会誌と各学会の1巻を残し古紙業者に依頼して処分しました。寄贈しても受贈側も迷惑でしょう。
今回受贈側(教育委員会)が、書斎を再現する為、寄贈を要請したとようですが展示ルームスーペスを越える寄贈がありその処置を現場に丸投げにしたことに問題の根源があるように思えます。
私の蔵書破棄を亡き親が知ったら「勘当」されるかもしれない。
副館長は、展示に必要ものを精査し事務的に処理したのに懲戒減給の上部長から課長補佐の3階級降格になっている。
整理・・要る物を残し 要らない物を処分するは思い入れが有ると難しい。

チャラン

2017/05/03 URL 編集返信

No title
> チャランさん
コメント追加されましたね。二つ上のものが私の返信になっています。

yositaka

2017/05/03 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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