サイモン・ラトルの田園②陶器のような滑らかさと自然な流動感

ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調「田園」




指揮:サー・サイモン・ラトル
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
2015
10814日ベルリン、フィルハーモニー(ライヴ)

KKC-9151 Berliner Philharmoniker (独盤CD)

これはサイモン・ラトル二度目の録音で、
ベルリン・フィルとの交響曲全集に含まれるもの。
添付されたドキュメンタリーDVD『ベートーヴェンとともに生きる』のなかで、彼は次のように語っている。
 
田園交響曲―命の儚さ

「嵐」は天気のことではなく心理的な脅威を表しています。社会全体が平和を求める時代では、「嵐」とともに「感謝」が新しい意味を獲得します。「田園」交響曲における「感謝」とは、危機の克服に対するものです。
脅威が過ぎ去った。
しかし全員が助かったわけではない。
この作品が美しく感動的なのは、命が儚いことを感じさせてくれるからです。
我々にとってベートーヴェンは巨人ですが、彼自身もまた存在の儚さを感じていた。
だからそれが表現できたのです。
 
ウィーン・フィルを指揮した第1回目の録音
との違いは、
多彩な表情が、陶器のようになめらかで艶のあるベルリン・フィルの響きに溶け合い、自然な流動感を獲得していることだ。
結果、「新しさを求める」一方で、いまひとつ音楽自体にのめり込んでいない「醒めた感じ」…という、旧盤でわずかに感じた物足りなさも、払拭されている。
ラトルの円熟とともに、共演を重ねたベルリン・フィルとの意思疎通の深まりが感じられる。

1楽章12:00
早すぎず、遅すぎずの自然なテンポ感で開始される。
第1テーマから、レガート気味な前半と、スタッカートで弾ませる後半の対比が鮮やかだ。
フレーズの終わりは、あるときはぐっとリタルダントするロマンティックな表情を見せたかと思えば、ピリオド奏法的に減衰させる。さらに小節単位で付けられた微細な強弱。主題提示部だけとってもラトルの「伸縮自在」は相変わらず。
ただしトゥッティでは、フルな強音を避け、8分の力に抑えている。バランスは弦主体の伝統的なスタイル。その背後に響くフルートやクラリネットの音色はキンと澄み、どこまでもクリヤーである。 
展開部以降はロマン的な色彩が強く、再現部直前までの次第に音が積み重なっていく立体感には、思わず引き込まれる。 


2楽章11:56

一転して弦楽器を抑えめにし、管楽器よりのバランスとなる。管楽パートはパート譜を耳で辿れる気がするくらいに明晰。弦はヴィブラートを抑制し、第1楽章よりもピリオド演奏的に感じられる。楽章全体の基調はすっきりとした透明感で、木管の涼しい硬質な音色と相まって、クリスタルグラスのような質感を作り出す。不思議なのは、フルート、クラリネット、オーボエ、みんな名人芸なのに、楽器固有の音色の差が少なく、均質に聞こえることだろう。
ただし最後の小鳥の歌では、思い切り音を伸ばすフルート、素早くうごくオーボエ、ふっくらと鳴るクラリネット、とソロの表現をはっきりと描き分けている。


3楽章5:05

主部は中庸のテンポを維持。鮮やかすぎるほどの木管とホルンの至芸が楽しめる。とくにオーボエの旨さときたら!トリオで一気に加速して追い上げるのは、旧盤と同じ。素晴らしい活気と躍動感だ。旧盤との違いは楽章全体の音圧が高く、ここだけが突出しないこと。一転して嵐の予兆へと気分を変える呼吸も実に巧みだ。
 
第4楽章3:52
特定の楽器を前面に押し出すことがなく、オーケストラ全体で凄みのある迫力を捻出する。基調は強音ではなく、リズムを刻む弦楽の鋼のような強靭さである。

ティンパニの連打は抑え目だが、ここぞという場面での決めの一打は凄まじい。それも1回目の録音のような、軽いバチによる破裂音ではなく、重みのあるモダン・ティンパニの音である。最後はコントラバスが地響きのような重低音を響かせる。

5楽章9:42

ホルンが大きくクレシェンドして、厳かにフィナーレのテーマを奏でる。初めて遅めのテンポをとるこの終楽章こそ、ラトルの「田園」の総決算だ。
ここまでは、やや細身にも感じられたオーケストラの響きに、厚みと立体感が加わり、滔滔と歌い進んでいく。時折のホルンの長いフレーズにかかるクレシェンドも効果的だ。トリル変奏を支えるピッチカートの雄弁さ、そして、終結部の感慨を込めた荘厳さ…
そこには「命の儚さ」と「危機の克服に対する感謝」を現代社会へのメッセージと考えるラトルの思いが詰まっているようにも、感じられる。



オーケストラの超人的な技量が、指揮者の多彩な表現への指向を抑えることなく、自然な流動感に溶け込ませてしまうという離れ業を成し遂げる。
これこそは現代を代表する「田園」の演奏、という人も多いかもしれない。

でも、個人的に愛聴するのかというと、躊躇する…
そんなネコパパは、きっとヒネクレ者なのだろう。
あまりに完成度が高すぎて、近寄りがたい。繰り返し聴くよりも、棚の上に飾っておきたくなる。パッケージデザインもそんな感じ。
 
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コメント

コメント(6)
No title
BPOの自主制作盤ですね。棚に鎮座しています。パッケージが特異なので収納に困っています。

SL-Mania

2017/04/16 URL 編集返信

No title
> 個人的に愛聴するのかというと、躊躇する…
> 繰り返し聴くよりも、棚の上に飾っておきたくなる。
なるほど~、そういうご感想でしたか。

ウィーン・フィルとの前全集は、「どこが面白いのだろう?」という感触で、あっとも言わぬうちに手放しています。

ベルリン・フィル自主制作ということのゆえか、たいへんなお値段ですね。
ブラームスのほうは6枚で9万円というLPヴァージョンもあった、とか。

『田園』は、全集としても、もう十分よい演奏 ― ワルター、クレンペラー、E.クライバー, etc. ― がありますので、“もうお腹いっぱい(=CD棚、いっぱい^^)”です。

プフィッツナー指揮の『田園』は、宮沢賢治の愛聴盤だったのですねえ(佐藤泰平『宮沢賢治の音楽』)。

へうたむ

2017/04/16 URL 編集返信

No title
> SL-Maniaさん
いやー、お求めになったのですね。実は借りものです。このパッケージは、私にはだめでした。演奏は素晴らしいので、小ぶりなチョコレートボックスで再発して欲しいですね。

yositaka

2017/04/16 URL 編集返信

No title
> へうたむさん
ウィーン・フィルとの前全集は「田園」「英雄」「第9」のみ購入し、これらは手放していません。このBPO全集は、借り物で一聴したところ、どれも均質な完成度を誇っていると思いました。ラトルは、常任指揮者辞任を前に、現時点でのベストを尽くしたと思います。

プフィッツナーは1920年代、この曲では定評があったようです。復刻盤として、一般に知られているのは1929年の三度目の録音ですが、賢治の所蔵品はそれよりも古い録音らしいです。

yositaka

2017/04/16 URL 編集返信

No title
こんばんは。ラトルのベートーヴェン交響曲はウィーン・フィルとの全集は手元にありますがBPO盤の田園は聴いていません。
だいぶ完成度の高い演奏のようですが、聴いてみないとわかりませんが、個人的にはあまりにもまとまりすぎた完成度の演奏だと、つい構えて聴く感じで疲れるかも・・・田園は気張らずに心地よく聴きたい・・・

HIROちゃん

2017/04/16 URL 編集返信

No title
> HIROちゃんさん
決して疲れたり、気張ったりするタイプの演奏ではなく、さらりと聞いて心地よく、じっくり聞くと発見の連続、という柔軟さを持っています。ただ、それを易易と成し遂げてしまう(ように聞こえる)余裕が、個人的に愛せないのです。不器用な奴には、不器用な音楽が馴染む…とでも。

yositaka

2017/04/16 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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