名曲の楽しみ 最終期の収録

今回も、シュレーゲル雨蛙さんからお送りいただいたCDRのご紹介です。

これは、吉田秀和が解説を勤めたNHK-FMの長寿番組「名曲の楽しみ」のエアチェック。
「さて、なぜこれをネコパパに…」
と考えながら眺めていたら、収録データが目に留まりました。
2012年4月収録。
2012年6月31日放送。
この著名な音楽評論家は、2012年(平成24年)5月22日に死去していますから、
これは、死後まもなくの放送です。

この番組、吉田死去の時点で、かなり先の回まで収録を完了していました。
執筆済みの原稿は、さらにその先まで残っていました。
ですから、番組そのものはこれ以降も続き、7月14日の放送をもって、吉田の生前に収録した肉声の放送は終了。以降はディレクターの代読で残るすべての回を放送したのです。

当番組は、一人の作曲家の作品を年代順に取り上げる本編と、
月末に、最近聞いて気に入ったディスクを紹介する「私の試聴室」の二本立てで放送されていました。
6月末の放送ということは、これが吉田が肉声で語った最後の「試聴室」ということになります。



取り上げられているのは、3人のヴァイオリニストの演奏です。

ジノ・フランチェスカッティ
アルトゥール・グリュミオー
シモン・ゴールドベルク

テーマは「新即物主義の演奏」ということになるのでしょうか。

戦後に広まった、情緒に流れず、ぱりっとして清潔、それでいてちょっとした音色の変化や、さりげなくしゃれた表情も垣間見せる様式。
これこそが、この評論家が演奏の良しあしを決める物差しになっていたんじゃないだろうか…そんな気がします。

吉田秀和は、指揮者ならフルトヴェングラー、ワルター、カラヤンらには的確な評価を下しつつ距離を保ち、ベーム、セルを絶賛。ピアニストなら、ホロヴィッツを牽制し、アルゲリッチ、グールド、ミケランジェリの世の評価を決定づけたことなどが思い出されます。
それは、かれの思い描く理想の演奏が、広い意味で「ザッハリッヒ」の結晶とでもいうべきものだったことを指し示しているようです。

そんな吉田が最後に選んだヴァイオリニストが、この三人でした。
いかにも彼らしい人選と思います。

ネコパパは、彼の音楽を語る「文章」に強く惹かれ、
著作を長年繰り返し読んできました。
その一方、演奏評価についてはずいぶんと違和感も感じてきました。
カール・ベームについて、あれほど的確な評価ができる人が、なぜマルタ・アルゲリッチやグレン・グールドにあれほどの傾倒を示すのかが、
ネコパパにはいまひとつピンとこなかった。
やはり物差しが違っていたのでしょう。

この番組で取り上げられた盤にも、同じような感じを持ちます。

例えば…ネコパパが20世紀前半のヴァイオリニストでベートーヴェンのソナタを聴くのだったら、この三人よりも

ヨーゼフ・シゲティ
ヘンリック・シェリング
シャーンドル・ヴェーグ

あたりを選ぶでしょうし、
グリュミオーなら、ベートーヴェンよりも、モーツァルトの方がはるかに良いと思っています。
ところが吉田秀和は、ベートーヴェンを選ぶ。
モーツァルトは、シモン・ゴールドベルク。
ここがいかにも彼らしい。
奏者にとって「ぴったり」な曲目よりも、ちょっと外す。
外すことで生まれる、演奏者と作品との距離感を大切にしているかのようです。
ジノ・フランチェスカッティもそう。
彼は美音家で名人。いまもファンの多い人だけれど、ベートーヴェンの大家と呼ぶ人はまずいないんじゃないでしょうか。サン=サーンスやラロ、パガニーニの馥郁たる演奏で鳴らした人ですから、ベートーヴェンとはやっぱり少し距離がある。
でも、その「距離」が、吉田には好ましく思えるのかも知れません。
それだけ、ザッハリッヒになれるから。

「即物的」とは、「物に即して考えるさま。主観を交えないで、事物そのものの本質を見極めようとするさま」を意味する言葉だそうです。
潔く、深い意味を持った言葉ですね。
でも…即物でなく俗物のネコパパには、
主観でなくては見極められない本質というのもあるような気がするのです。この世の無数の「物事」のうちの、とくに「音楽」という分野には…

雨蛙さん、こんな受け止めをしましたが、どうでしょう?




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コメント

コメント(2)
No title
これまた、分析をしていただき、ありがとうございます。なるほど、「距離感」ですか。小生、考えつきませんでした。距離感のあるものを吉田は尊んだ、という見立てですね。そうすると、これは予想ですが、吉田はアルゲリッチの演奏にも、どこか醒めた感じを見ていたのかも知れません。グールドは、逆に醒め切っていると小生には思われますから、問題がありません。アルゲリッチは、観客に溶け込むことができない性格だというようなことを青柳いづみこさんは書いていたような。孤独な(=醒めた?)マルタ。この辺りに、機微があるのかも知れませんが、もう少し考えてみます。

シュレーゲル雨蛙

2017/04/03 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
吉田秀和はピアニストへの偏愛が強くて、オーケストラ者のネコパパとはそこからすでにズレがあります。では彼が理想とした指揮者は誰か。なかなかパッと浮かばないのですが、ほとんど無条件に絶賛していた人物がいます。
ジョージ・セルです。
この人など、たしかに音楽との距離感にかけては絶妙なものがあって、ネコパパにとっては(実力は認めますが)かなり遠い位置にある人です。
同じクールなら、クレンペラーのほうがはるかに魅力を感じるのはなぜか。クレ爺は、ポーカーフェイスを装いながらも、音楽との距離感をあまり感じないばかりか、むしろすっかり音楽に溺れているような気がする…そのあたりに理由がありそうです。

yositaka

2017/04/03 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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