エーリッヒ・クライバーの田園②1953年、アムステルダム・コンセルトヘボウとのDECCA盤

カルロスの父エーリッヒ・クライバーは『田園』を得意曲としていた。
録音は英DECCAに2種類、放送録音で3種類が正規盤として発売されている。
このうち②は未架蔵。
 
①ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1948.2.2425 キングズウェイホール 英DECCA
②北西ドイツ放送交響楽団 1953.1.29 ハンブルクでの放送録音 仏TAHRA
③アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1953.9 コンセルトヘボウ 英DECCA
④ケルン放送交響楽団 1955.4.4 ケルンでのライヴ録音 仏TAHRA 英Medici Masters
⑤チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1955.5.20 スメタナホールでのプラハの春国際音楽祭ライヴ録音 英IMG
 
今回は③を取り上げる。



エーリッヒ・クライバーの「田園」といえば、まず名前の挙がるものである。
長いあいだ、キング国内盤のライナーノーツに書かれていた志鳥栄八郎の言葉
「これを越える演奏は、いまだにあらわれていない」
を思い起こす人もきっといるだろう。断定的なことを滅多に言わなかった評論家の言葉だけに、印象的だ。

1楽章9:10
48年盤同様、跳ね上がるようなリズムを基調として、躍動感に満ちた演奏を展開していく。
キレの良さは48年盤と共通だが、豊かな音色と音の奥行の深さは段違いだ。
一つ一つのフレーズが、まるで取れたばかりの魚のように、一つ一つ違う姿で跳ね上がる。対旋律のすみずみまで音は明確で、音圧は高い。生命力の豊かさだけではなく、音楽を構成する要素ひとつひとつの、生きる有り様の違いまでも描き分けた演奏と言っていいかも知れない。
コンセルトヘボウ管弦楽団は、技術の高さだけでなく、音色の引き出しが多いのが強みだ。弦も木管もそれぞれの音をしっかり持ちながら、どこかが突出することもなく、ひとつに溶け合っている。
これに比べると、一回目のロンドン・フィルの音はあまりに単色に聞こえてしまう。
 
2楽章14:07
同じく、芳醇な響き。
冒頭から弦楽器は膨らみをもって弾き進むが、繊細な弱音から、思い切った強音まで、多彩な変化を聴かせる。
クライバーはロンドン・フィルでもファゴットに繊細な音色を要求していたが、今回も弱音中心のデリケートな表現を指示。効果は絶大である。
フルート、オーボエも音量的に突出するような吹き方はしないが、惚れ惚れとするような美音である。大体は小さめな音で奥ゆかしく吹いているクラリネットも、ここぞという時には前に出る。
展開部後半、ベームがリタルダントを聴かせた箇所で、クライバーも遅いテンポで思い切った陶酔感を表出。ベームとの違いはそのあと、大きくクレシェンドして音楽を広々と開放していくところ。心を揺さぶられる表現である。当盤の演奏の白眉はこの部分かも知れない。
コーダの小鳥の歌では、フルートが最初は弱く、遅く出て、次第にテンポを上げながらクレシェンドさせていく。音楽と演奏効果が一致して、聞き手に何とも言えない幸福感を感じさせる。
 
3楽章5:15
反復を実行。主部前半は芯のある力強い響き。後半はファゴットの強さとホルンの身をひねるような歌い口の掛け合いが楽しい。
トリオは少しだけテンポをあげてご機嫌な喧騒ぶり。そして最後はものすごい勢いでアッチェレランド。
 
4楽章3:26
描写性を排して、音楽だけで勝負する「アレグロ」。
各声部のバランスもよくコントロールされていて「無茶弾き」はなく、ティンパニも抑え、最後になってようやく最強奏となる。この弦楽中心の黄金バランスこそ、この楽章に最もふさわしいスタイルと思える。
 
5楽章9:35
豊かなホルンの響きとともに豊かに、深々と奏でられる第1テーマ。
テンポは抑え気味だ。第1楽章と同じく、全体の音量変化は大きくないかわり、一つ一つのフレーズの表情の変化は多彩を極める。 特にリズミカルな部分から緩やかに歌う部分への切り替えが鮮やかで、リズムを刻むフレーズの終わりをきりっと強めて、瞬時にレガートに変化させる呼吸が素敵。
ちょっと大げさに言うなら、これは細部まで徹底して作り込まれた、「普通に鳴っているだけ」の部分が全くない演奏だ。
コーダは、祈りの音楽というよりも、地に足のついた、生活する人々の一日を終えた安息を表しているようでもある。最後の二つの和音は今回も短いが、ぶっきらぼうで不機嫌な感じはなく、安堵に満ちている。
 
人によっては、あまりにも細部まで目配りが行き届いているために、豊かな流れに浸るよりは、細部に耳が行き過ぎる、そんな感想を持たせる演奏かも。
歴史的な名盤として支持する人が多い反面、まったく話題にしない人もいる(例えば「田園」好みの宇野功芳もそう)のはそのためだろうか。
でも、音の土台そのものはがっちりと磐石、その上に自在なニュアンスの花を咲かせるのは、演奏する側として筋が通っているわけで、むしろこれこそ「演奏」ではないか、と私は思う。
 
 
録音技師は48年と同じケネス・ウィルキンソンだが、5年後の録音とは思えないほど生々しい鮮度がある。空間情報(音場感)は多くないが、奏楽情報(楽器の出す直接音)は豊かだ。
個人的には、好きなタイプの音である。
日進月歩だった録音機材のせいもあるのだろうが、プロデューサーがヴィクトル・オロフからジョン・カルショーに変わっていることも、関係しているのかもしれない。
私の聴いたのはOriginal Mastersと題された6枚組の独盤CDである。


 
さて…息子カルロス・クライバーは、自分がこの曲を演奏する際、この父の録音を参考にしたのだろうか。
もし、そうだとしたら、あの日、ウィーン・フィルとのリハーサルの途中、父の演奏が彼の脳裏で鳴り響き、途方にくれてしまった、そんな想像が浮かんでくる。
これは指揮者を惑わすばかりで、演奏の参考にはならない盤なのかもしれない。 


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コメント

コメント(4)
No title
こんにちは。古い録音ですが十分に鑑賞出来る名演だと思います。
この音源は、中古で見つけた「ベートーヴェン」の何かの本についていた疑似ステレオのLP盤と学生時代のキングレコードの廉価盤MZシリーズのLP、そしてCDと持っています。
「田園」はあまり構えてじっくりは聴かないほうですが、この演奏は何か引き込まれていくものを感じます。この程度の音質ならカラヤンの「田園」よりずっといいのでは・・・
「田園」も100枚以上持っていると思うのですが、近いうちに「田園」特集でも投稿しようかしら・・・でもyositakaさんは、「田園」については特別の思い入れがあるので・・・ちょっと書きにくいですね~~~。

HIROちゃん

2016/12/26 URL 編集返信

No title
> HIROちゃんさん
疑似ステレオのLPがあるという話は時々聞くのですが、現物を見たことはありません。英エクリプスあたりにも入っていたのでしょうか。私の架蔵はこのCDの他、MZ盤の後継MX盤、と、オリジナル盤と同じデザインの古い国内盤です。古い方は相当年季が入っていますが、音は十分に聞けます。やはり収録そのものが優れていたのでしょう。

yositaka

2016/12/26 URL 編集返信

No title
おはようございます。お尋ねの疑似ステレオ盤ですが、書籍として講談社から発売された 「 MASTERPIECES OF WORLD MUSIC 」 の配本「ベートーヴェンⅠ」についていたものでキングレコードのロンドン盤で「STEREOPHONIC」の文字の入ったものでレコード番号は「NAK-6」となっています。因みに余白にはクレメンス・クラウス/VPOでレオノーレ序曲第3番です。

HIROちゃん

2016/12/27 URL 編集返信

No title
> HIROちゃんさん
1968年から1970年にかけて発行された「ステレオ世界音楽全集」のことでしょうか。確かにキングレコード製作とあります。「ステレオ」と銘打ちながら堂々と擬似ステレオ盤を入れるとはたいしたものですね。
この種の書籍は1967年、17センチLP2枚入りで680円の初回特別価格で売り出した河出書房の「世界音楽全集」が走りでした。その第一回は100万部突破のベストセラーだったそうです。曲目はカラヤンの「運命」で、なんとこれも擬似ステレオでしたね。

yositaka

2016/12/27 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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