第71回日本口承文芸学会研究例会④二宮金次郎の説話と道徳教育



二宮金次郎の説話と道徳教育
伊藤利明(関西福祉科学大学)
 
道徳の教科化が決まった。大きな変化は教科書ができることと、評価がなされること。道徳的実践力の文字がなくなり、道徳性に含まれる道徳的心情と道徳的判断力を入れ替えて判断力が先になった。授業としては「気持ち」の読み取りに収支氏とてる現状から『考え、議論する道徳』への転換が提唱されている。
さて、現在でもポピュラーな教材の一つ「二宮金次郎」は、文科省道徳教材「わたしたちの道徳」1.2年向けに今も掲載されている。果たして新しい道徳指導にとって二宮金次郎はどんな意味を持つのだろうか。



 
■二宮金次郎と道徳思想
二宮は「あらゆるものに徳がある」と考え、これを社会に生かそうと実践した人物である。明治以来、道徳教育の題材として取り上げられ続けてきた。その理由としては次の三点が考えられる。

①思想、実績、業績(信用組合の先駆者)が並外れていたこと。
②その業績から遡り、子ども時代生き方から勤勉の徳を抽出できたこと。
③彼の生き方が明治政府が求めていた人間像に一致していたこと。
④まきを背負って読書する二宮金次郎の「像」を見ただけで誰でも勤勉の大切さが理解できること。
 
道徳教育について二宮は「人々の心の田の荒蕪を開拓し、天の授けた善種を培養し…国家に善種を蒔き広めることだ」と述べている。彼は物や人に備わるよさ、取り柄、持ち味を「徳」と呼んだ。荒地にも荒地なりの徳がある。荒地の徳を人間の徳が生かすことで実り豊かな田畑に変えていく。これを「万象具得」と呼ぶ。
 
彼の思想の根幹は至誠と実行である。
この思想は少年時代の苦しい体験に基づいている。5歳で大洪水になり田畑は荒地に、父親は病気になり、医者代にも苦労。14歳で父が、16歳で母が亡くなる。堤防決壊で田畑を流失。万兵衛に預けられる。こうした苦労の体験によって働くこと、勉強することの大切を学んだ。
彼の「報徳思想」は至誠・勤労を旨とし、実践が伴い、基金や災害で苦慮していた多くの藩や村の復興をもたらすという実践を伴うものであった。二宮が立て直した村は600に及ぶ。
 
江戸時代後期に思想家はいたが、実践家は少なかった。
自ら農民として米作りを改良し収穫を上げた二宮金次郎は明治期、農業危機が起こるたびに数多く文献に取り上げられた。
政府は「苦難に耐え成果を上げる」農民像として二宮金次郎に着目し、1928年「尋常小学修身書」では孝行、勤労、学問の順に取り上げられた。
二宮金次郎像の設置は1920年から1940年に掛けて広く設置された。
 
日本の道徳教育に強い影響を与えているアメリカの道徳教育の変遷を見ると

①コールバーグのモラルジレンマ
②価値の明確化(子ども自身の価値判断を促す)
③人格教育

の順に変化していることが見て取れる。
1990年代から、最も推進されているのが人格教育である。これは賢明、正直、親切、勤勉などの「徳」を教えることを主眼としたもの。提唱者トーマス・リコーナーは、徳は普遍的な善であり、時代や文化を超越するものとしている。二宮金次郎の思想との共通項を読み取ることができると思われる。
 
■道徳資料としての二宮金次郎
しかし「わたしたちの道徳」テクストや、二宮金次郎像の現状を検討したとき、問題点も多く指摘できる。
①テクストの検討
・「まずしい農家に生まれました」→6000坪の農地を持っていた。最も困窮していた
16歳のころも2100坪を保有していた。
・意地悪な万兵衛おじさん「明かりに使う油がもったいない。はやく寝なさい」→根拠なし。万兵衛についての資料はほぼ皆無。
・「一日の仕事を終えると本を読み…」→本が買えたのは20代半ばになってから。金次郎像で読んでいる本の多くは『大学』であるが、子ども時代に読んでいるとは考えられない。
②金次郎像の検討
・薪を背負う金次郎像→薪にも所有権あり、二宮家はこの作業はしていなかった。
・歩きながら『大学』『実語教』を読む→同書の入手は成人後である。
・服装が時代と合っていない。「もんぺ」の着用など。
・時代の要請で適宜デザインが変更されている。

薪を背負って本を読みながら歩く(土台にしめ縄、神?)


薪を背負って座って読む(歩きスマホはだめ?)


薪を脇に置いて座って読む(体に無理がかからない姿勢?)



■ネコパパ感想
文部科学省の道徳教材「わたしたちの道徳」に、いまだに二宮金次郎が取り上げられていることに驚きます。伊藤さんのご発表で、二宮の賞賛に値する業績を知ることができたのですが、一方で道徳資料の方は事実かどうかも曖昧な「説話」で「勤勉」だの「勤労」だを教えようとしています。
道徳教科化に当たって文部科学省は「気持ちばかりを問う授業やわかりきった価値観を唱える授業に変わって「考え議論する」道徳へのステップアップを提唱しています。その観点から見てこの「説話」は、はたして教材としてふさわしいものなのでしうか。

二宮金次郎がいけないのではない。彼にまつわる根拠薄弱な「説話」を無批判にに扱い、教師も子どももそれに疑問を感じない、そのことを問題にすべきと思います。
わかりやすい話で「勤勉」「勤労」の価値が分かるんだからそれでいいじゃないか、と思われるでしょうか。でもそれって「わかりきった価値観を唱える授業」では。

「勤勉」も「勤労」も、疑いもなく大切な価値です。
でも人は、大切だからそれをする、なんて単純な生き物ではありません。決して。
二宮金次郎が人生を賭けて行った結果を、後付けでそう呼ぶのです。だからこそ確かな事実であることが、説得力となる。
事実かどうかも曖昧な「説話」で子どもを「教え導ける」と考えるなんて、大人の傲慢ではないでしょうか。

ネコパパならどうするか。
確認されている事実に基づいた、正確な内容の資料をつくる。
または、「説話」そのものを資料として、事実と違う点を伝えた上で、なぜこの話が普及したのかを「考え、議論する」授業をつくる。
主題は「勤労」ではなく「真理をたいせつにすること」です。




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コメント

コメント(8)
No title
二宮尊徳の財政再建家としての功績は偉大です。
「負薪読書図」像を見て子供心に「勉強しなくては」と思いましたが大人になると
・登校下校時に、重いランドセルを背負って教科書を読んで歩いてました。
・子供も働き手であった時代 薪を売るアルバイトをして家計を助けました。
・食い扶持が少しでも少ないほうが良い時代 養い親に「子供は、夜更かししないで早く寝なさい」と言われました。
等ちょっとひねくれてしまいます。
道徳(モラル)は、社会・経済・の変化により価値観も変わり難しい教科だと思います。
そこで簡単な?疑問
地下鉄の二人乗りのエスカレータ片側に長蛇の列になっていますが私は、エスカレータの上は事故防止の為、歩行禁止なのでかまわず空いて側の方に乗りました。
地下街の通路歩行者は、右側通行なので右側を歩きましたら左側を歩いて下さいと貼紙がしてあります。
ネコパパさん、私の行為は、道徳的に正しいのでしょうか。

チャラン

2016/12/23 URL 編集返信

No title
> チャランさん
正解のないのが道徳ですからどちらでもいいのです。それぞれの判断で意見が分かれた時に、話し合いはスタート!意見が別れないときは「本当にそれでいいのかな?」と問い返して別の意見を引き出していく。それがとても楽しい。だからネコパパは道徳の授業が大好きです。
エスカレータと地下街の例も「ケースバイケース」なので、「決まっているからこうする」という意見が出てきたら「そうかな。こういう場合もあるぞ…」と牽制し、「決まりは何のために、誰のためにあるのか」をじっくり、時間が来るまで考えるのです。

yositaka

2016/12/24 URL 編集返信

No title
早速のご回答ありがとうございます。
『考え、議論する道徳』は、このことですね。

チャラン

2016/12/24 URL 編集返信

No title
私の子供の頃は、官製道徳教育には極めて否定的な時代でありました。
それに代わって触れるものはお寺や教会での説話であったように思います。
もっとも、河内の某お寺に行った際には、滔々と南朝正統論を熱弁するお坊さんには、すでに読売新聞社の「日本の歴史」を読んでいた私は辟易しながら聞いていた記憶があります。
あとから太平記を読んでいますと、どうやら私の祖先らしき人が護良親王を吉野の山の中を追いかけ回していた記述があり、その血が伝わっていたのかも知れません(笑)
道徳というものは押し付けられるものではなく、日常の生活中で自分で考えて、他人と議論する中で身につけていくものというお考えには、私も同感するところが強くあります。

gustav_xxx_2003

2016/12/26 URL 編集返信

No title
> gustavさん
私自身は組合の強力な土地柄に育ったこともあって、義務教育でまともな道徳授業を受けた記憶は、ありません。
教員になってからも、別に特別な主義主張がなくても、多くの教員は道徳の授業を何かと理由をつけては潰していました。そりゃ、本気になれない「建前」の内容にやる気になれるはずもなく、また受験には無関係で、評価も不要なのですから…
でも私は「それはもったいない」気がしていました。その気になれば、この時間は、生徒と教師が本音で語り合える時間ではないか、と思っていたからです。話し合っている間に、時間があっという間に過ぎて「先生、もう終わりなの?」と声が飛ぶ。私はそんな道徳の時間をずっと目指してきたつもりです。

yositaka

2016/12/26 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
聞き間違いや勘違いもあるかと思いますが、ご意見ください。楽しみにしています。

yositaka

2017/01/07 URL 編集返信

No title
拙ブログにネコパパさんの紹介について紹介するという屋上屋をかけました、
聞き間違いも勘違いもないと思います。ぐっと真ん中をつかむ読解力は頼りになる先生のものです。学生時代、福島で明治生まれの元先生宅で昔話を聴いたことがありますが、庭に教育勅語を刻んだ石碑を建ててありました。結局昔話はひとつも知らない方でしたが、勅語の利益を長々聞きました。昔話と勅語とはどこか対照的なのかも知れません。金次郎はそのあわいにあるのかも。境界線上の魅力を感じます。

シュレーゲル雨蛙

2017/01/11 URL 編集返信

No title
> シュレーゲル雨蛙さん
私の記事に対して、飛び上がるほど嬉しい紹介・感想記事をアップしていただきました。
http://blogs.yahoo.co.jp/harmankardonpm665/40753705.html?vitality

感謝感激です。拝読して、ブログを続けてきた甲斐があったな、と思いました。発表内容そのままではなく、メモをもとに自分なりに「わかったことだけを書く」やりかたなので「詳細」とは程遠いのですが、今後も、ささやかでも世に伝えるべきことは発信していきたいとあらためて思いました。
二宮金次郎の物語には「境界線上の魅力」がある…たしかに成立過程や歴史的背景等、研究に値する題材と思います。でも、子どもたちにとって「現役の物語」足りうるかと言うとそれは疑問です。「新しい道徳」と言いながらこれを採択する姿勢には、あまり見識を感じないというのが正直なところです。

yositaka

2017/01/12 URL 編集返信

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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