日本イギリス児童文学会第46回研究大会①『ロミオとジュリエット』の子供たち



日本イギリス児童文学会第46回研究大会(2016年度)
にお邪魔してきました。
例によって、何回かに分けて報告したいと思います。
今回はシェイクスピア没後400年を記念して、シェイクスピア関連、演劇関連の講演やシンポジウムが開催され、盛況でした。 
 
日時:1126日(土)〜1127日(日)
会場:中京大学名古屋キャンパス
 


1126日(土)
13:0015:00 基調講演1 清泉女子大学 米谷郁子
「『ロミオとジュリエット』の子供たち翻案・上演・児童文学の三叉路において」
 
チャールズ・ラムの『シェイクスピア物語』は1807年、同じ年にヘンリエッタ・マライア・パウドラー、トマス・パウドラー編の『家庭のためのシェイクスピア』が世に出る。
シェイクスピアの作品は家庭で読まれるべき名作だが、性的・冒涜的表現が頻出するのでそのままの形で読まれるのはふさわしくないと考えたパウドラー姉弟は、不適切と判断した箇所を徹底的に削除した。
以上のような19世紀初めの出版状況と社会的背景と『ロミオとジュリエット』の英語圏での上演や翻案の歴史を例に、テイーンエージャーに最も知られた作品の受容のありようについての講演であった。



 
■翻案―教育的配慮
19世紀になってシェイクスピア出版が隆盛した背景には、女性の社会進出と識字率の上昇があった。女性作家も台頭し、1780年には小説の1/3を占めたという。ラムやパウドラーの編著はそんな中で多くの読者を獲得。「教育上の配慮」による削除改変はパウドラリズムと呼ばれ、この傾向は201世紀初頭まで続き、英米でこの種のシェイクスピア出版物は20種類を数えた。一方、カットなしの大人向け全集も19世紀後半には広く出版され、造本技術向上によって多色の挿絵も入った全集も登場。
 
■上演―大人すぎる二人
上演でも翻案が多かった。
原作で14歳のジュリエットはより年長者の上演が普及してイメージが変わる。結末の「すれ違いの悲劇」も回避され、「最後の会話」入りバージョンが20世紀まで上演され続けるとに。俳優も30代で演じることも珍しくなく、これが映画版にも波及した(1936年のアメリカ映画での「大人すぎる」二人)
19世紀になると性別越境の舞台も増える。
女性だけの上演は歴史が古いが、近年は男性だけの上演も試みられている。
原作どおりの「若いカップル」はむしろバレエ版で見られる。原作とよくリンクしたプロコフィエフのバレエ版も人気を博した。スターリンかで作曲したプロコフィエフには、本作を若い世代による社会への異議申し立てと見る視点が存在したのかもしれない。



 
■フェミニズム―主体的女性として称揚
一方、フェミニズムの立場からの女性擁護論もあらわれる。
アンナ・ブロウネル・ジェイムソンは『シェイクスピアのヒロインたち(1832)で、シェイクスピアは女性の役柄に心と判断力を与えたと論じ、ジュリエットは「主体的に動き、想像力によって強くなるキャラクター」として賞賛。
『家庭の天使』的女性を称揚したメアリ・カウデン・クラークは、シェイクスピアに登場する女性の過去を想像して小説としたが、ジュリエットは「母の悲劇」として扱うにとどまった。19世紀の女性たちの「ロミオとジュリエット」への注目はどちらかと言えば「母子関係」に着目したものが多かったようである。



 
■児童文学とのかかわり―子どもの役柄として登場する二人
イーディス・ネズビットシェイクスピアの美しい話(1907)では、ストーリーを「子どもの話」に置き換えている。セクシャル排除の脱色性が顕著。
ジェフリー・トリーズ反逆のためのキュー(1940)シェイクスピア劇団の二人の少年俳優(一人は女装、この二人がストーリー上でもロミ・ジュリ役)を主人公とした歴史小説。
アヴィ一緒にロミオとジュリエットを(1987)シャイな二人をくっつけるためにクラスでロミ・ジュリを演ずる。少女漫画パターン。



 
■映画―若者文化の嚆矢
三度目の映画版である1968年のフランコ・ゼフィレッリ監督、ホワイティング、ハッセー主演版の存在感は強く、以降の作品はすべてこれを踏襲せざるを得なくなる。本作が『若者文化youth culture』を生み出したといえなくもない。近年はロミオとジュリエットの役割を交代させた「反転版」、二人の死から始まる「逆回転版」など、なんでもありの試みが繰り広げられている。



 

■ネコパパ感想
「ロミオとジュリエット」といえば、ゼフィレッリ映画版のイメージがやはり強い、と改めて感じます。
初公開の中学生当時は関心がなく、高校生になってからの鑑賞でしたが…ネコパパにとってのこの作品はやはりオリビア・ハッセーの美貌と木をよじ登ってバルコニーに侵入するロミオの若者感覚に尽きます。米谷さんの発表は、作品としては古い本作が19世紀の女性の社会参加とともに名作の地位を得た背景が浮き彫りにされ、さらにそれが時代を経て「若者文化」の基盤へと変容していく過程が示される、興味深い内容でした。

児童文学との関連については「サンプルを示す」ところで終わっていたのがちょっと残念。しかも紹介された三作とも、未訳です。
シェイクスピア理解を前提とした児童文学は、日本の読者にはちょっと…と思われているのかもしれません。ネコパパが頭に浮かぶのは、現代のシェイクスピアの舞台に出演する少年が、16世紀のロンドンにタイムスリップして『真夏の世の夢』のパックを演ずるという、スーザン・クーパーの『影の王(1999)でしたが…
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コメント

コメント(4)
No title
かなり前に高校生と一緒にプロコフィエフのバレエ音楽を吹奏楽に編曲したものの演奏に参加したことがあります。パート練習で同じ楽器の男子生徒にこの話は当然知っているだろうな、水を向けたら、知らないと反応に驚きました。母校でもあったので、けしからん文庫本でいいから読めと「命令」してしまいました。今時はこんなものなのか唖然とするやら、情けないやら、です。それでも件の生徒は真面目なのか、読んでみたようです。

SL-Mania

2016/11/29 URL 編集返信

No title
SL-Maniaさん、ふたつの要因があると思います。私たちの年代と違ってゼフィレッリの映画や、元ネタを誰もが知っていた「ウエストサイド物語」等の共通体験がないこと、そして、いつの時代も読書文化圏に属する層は、全体の中では少数という事実です。「題名を知っている」ことと「話を知っている」ことは別ですからね。この学会では、後日紹介しますが、「けいおん」や「プリキュア」といった近年のアニメ作品にも「ロミジュリ」が頻出している事例が出ていました。
記憶の継承の形は様々ですが、途絶えているわけではなさそうです。

yositaka

2016/11/29 URL 編集返信

No title
> yositakaさん、自分の体験を思い返すとセフィレッリ作品以前には概要は知っておりました。それが何によるのか思い出せません。親にどういうことかと聞いたかもしれません。「ウェストサイド」はずいぶん後になって内容を知りました。共通体験は大切です。

SL-Mania

2016/11/29 URL 編集返信

No title
SL-Maniaさん、私の場合は手塚治虫が出会いです。この話も記事にしたいと思いますが、1965年雑誌掲載の「鉄腕アトム」の一話「ロビオとロビエットの巻」。読んだのは10歳。当時元ネタは知らず、高学年か中学生になって知ったのです。演劇青年だった手塚の先進性がうかがわれます。

yositaka

2016/11/29 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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