児童文学学会第55回研究大会⑦文学全集・大町桂月



研究発表
12301400 研究発表Ⅲ分科会①
 
<文学><名作>のあいだ―1950年代河出書房刊行の少年少女近代文学叢書を中心に―…千葉大学 佐藤宗子

■「名作」と「文学」を使い分ける


 

これまでの研究によって、いわゆる「現代児童文学」の出発前夜から出発、そして展開期にあたる1950年代から70年代にかけての時期において、少年少女向けの翻訳叢書が子どもの教養形成に資するものとして意図されてきたこと、児童文学における書目の体系化・規範化に寄与してきたことが明らかになってきた。
さらに同時期の日本の作品群についても体系化・規範化の過程を研究している。1950年代に刊行された創元社「世界少年少女文学全集」および講談社「少年少女世界文学全集」の「日本編」の内容整理により、明治以降の文学の流れを「近代文学」として提示する「媒介者」の仕事が見られる一方、「近代文学」と「児童文学」が接点を有しつつも別れていく過程にあることなどが確認された。

今回は、同時期の河出書房の叢書類の調査結果である。
1950年代には、同社から三つの日本文学に関する叢書が刊行された。
A 日本児童文学全集 全12巻 195354
B 日本少年少女名作全集 全20巻 195455
C 日本少年少女文学全集 全21巻予定(3巻刊行後中止) 1957

注目点は「文学」と「名作」の区別がされていること。
同社の広告文ではAでは「まじめに勉強したい人には参考になり、また面白く良い作品」が、Bでは「勉強をしたあとで読みましょう。頭のリクリエーションです」という作品が選ばれたと明記されている。
内容を見るとAは童話を中心とする「児童文学」とやや年長を意識した「小説」等の散文作品を中心に、幅広い散文や詩、劇も含まれた選書であるのに対し、一方Bは、読み物的な長編から、日常もの、伝記物、時代物、探偵物などから選ばれている。




『少年倶楽部』に掲載された「ああ玉杯に花受けて」(1928)などの作者で当時「少年小説」の第一人者とされた佐藤紅緑Aへの収録を打診したところ断られたという事実は、両者の違いをよく示す事実である。
Cは「少年少女文学」ではなく「少年少女・文学全集」の意。河出書房倒産のため3巻で中断となった。刊行予定を見るとAに通じる内容で、より規模の大きい集大成的な全集企画であったと思われる。
 
■ネコパパ感想
長年少年少女向けの翻訳叢書(いわゆる「世界名作全集」の類)の研究を蓄積されている佐藤氏ですが、近年は日本の作品叢書にも研究を広げられているようです。私が小学生だった昭和30年代から40年代前半にかけては、まだまだこの種の「子ども向け文学全集」は隆盛を誇り、友人宅に揃っていたものを借り出して読むことも多かった記憶があります。その頃の記憶では「名作」とは、どちらかというと外国作品をさすことが多かったのでは…それも、本来は大人向けの作品の「抄訳」「翻案」を。「世界名作」という言い方をよく耳にしましたが「日本名作」とはあまり言わなかったようにも思います。

ここで取り上げられた河出版3種類は、私が生まれた頃のもので、60年代まで現役だったのかもしれませんが、書店や図書館でも見た記憶はありません。
同社が「児童文学」と「名作」を区別して使っていたというのも初耳でした。
日本の時代物、探偵物などを「名作」として「文学」と区別する概念は、しかし結局定着しなかったようですね。当時の編集者(関係者)の試行錯誤の跡がうかがわれますが…「児童文学」の用法もこのころは過渡的、多義的だったとわかります。

佐藤氏が研究されている叢書類は大量に売られ、消費・廃棄されて、今ではなかなか現物を見ることができないものですが、これらは児童文学観や子ども観を知る貴重な資料とあらためて思いました。佐藤氏がこれらの研究成果を本にまとめてくだされば、日本児童文学必須の基礎文献になるのは間違いないでしょう。
高くても買います!

 
大町桂月の修養主義的文学観…神戸大学 目黒 強
 
■明治期児童文学の思想的基盤をつくる



大町桂月は明治期「美文」や「紀行文」に加え「時評」を通して広く知られた文学者、文芸評論家の一人で、谷沢永一によれば「文藝時評」という呼称で時評欄を担当した最初の人だったという。
桂月が時評を手がけた主な場は『太陽』『文藝倶楽部』『中学世界』などの博文館の雑誌であった(入館明治33、退館明治39)。当時から「青年教育」に関心を持つようになり「修養に関する時評」をものし、『学生訓』(明治34、博文館)をはじめ相次いで刊行。「時評」を中心とした文藝評論を検討したところ、小説の社会的地位が低かった明治期にあって桂月の修養主義的文学論は児童文学を正当化する思想の基盤として機能したことが示唆された。
 
大町桂月の文学観
・国民文学論…近代小説の「心理解剖・神経質的」を批判し「武士道・紳士道」を描く修養主義的文学観を主張。文学熱を「冷却」し立身出世熱を「代替」する役割を意図。
・児童文学論…巌谷小波を「独逸メールヘンではなくの島国のメールヘン作家」と評。児童文学を通した文学趣味と武士道の涵養を唱え小波のお伽小説「新八犬伝」を評価。→小波の思想的基盤ともなる。

 
■ネコパパ感想
大町桂月については、荒川洋治のエッセイ集『過去をもつ人』(2016みすず書房)で、明治期の忘れられた美文家として紹介されたのを読んだばかりでした。この人が「文藝時評」の創始者で、児童文学にも影響力があったことは初耳ですし、目黒氏もその点について言及されたことはこれまでになかったとのこと。

小説有害論が説かれた時代に「美文」を武器に博文館の諸雑誌に寄稿し、相当の影響力のあった人のようです。彼は自己閉鎖的になりがちな過度な文学熱を諫める一方で、人間形成に「役に立つ」つまり「面白くてためになる」文学を評価・推進することにに寄与した一人。つまり、現在も一般に共有る「教育のための読書」概念の普及に力のあった人と言えます。
驚くのは、明治36年の時点で桂月が「メールヘン」の語を使いこなし、しかもグリムを援用した語義説明が正鵠を得ていることです。
侮りがたし、明治教養人。

明治期の児童文化、児童文学をめぐる言説や実情は、わからないことがとても多い。基礎的な資料が主に雑誌で、散逸しているものが多いことも確認を困難にしています。わずか150年前のことなのに…日本人はよほど「忘れ去る」「過去を捨てる」のがよほど得意な民族なのでしょう。
目黒氏の緻密で果敢な研究活動は、いつもながら刺激的でした。
 
 
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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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