児童文学学会第55回研究大会⑤紙芝居の変遷・口演童話と防空




研究発表
10 30 日(日)
9301200 研究発表Ⅱ分科会②
 

印刷紙芝居草創期における形式の変遷について…すみだ郷土文化資料館 高塚明恵

■紙芝居変遷の歴史と今井よねの業績



昭和5(1930)頃東京下町で登場した立絵の街頭紙芝居は瞬く間に子どもたちを魅了。娯楽性が強いストーリーと刺激的な絵のために教育者からは悪影響を懸念されていた。一方で左翼活動家や宗教家によって紙芝居の教育的活用が試みられようとしていた。
昭和6(1931)米国留学から帰国した、今井よね は、本所区林町(現墨田区立川)に家を借り、近隣の子どもたちを集めて日曜学校を開いた。子どもたちと街頭紙芝居を見た今井は紙芝居を用いた布教を思い立ち、紙芝居画家板倉康夫に作画を依頼、全4100枚からなる「ダビデ」の物語で、以降聖書を題材とした作品を次々制作、自身の教会や街頭で上演した。
昭和8(1933)7月には紙芝居刊行会を組織し、印刷出版に踏み切る。第1作として7月『聖書物語1少年ダビデ』四六版八つ切発行。これには各絵の裏側に脚本が記され、読みながら演ずるには適しないもの。当時の紙芝居は話者が舞台前に立って口演するものであり、脚本はあくまで演者が記憶して自由に語るものとして添付されるものであった。
しかし同年8月刊行の第2作『善きサマリア人』では、順送りにめくりながら脚本が読める現在の方式に移行している。この方式が現在に至る印刷紙芝居の基準の形式として定着するのである。
紙芝居刊行会の印刷紙芝居がまとまって発掘され、文化資料館に収蔵されたのを機に「街頭紙芝居」「原画紙芝居」「日曜学校紙芝居」「刊行会紙芝居」の特色を精査することが可能になり、今回の発表に。日本の紙芝居の変遷と今井よねの大きな業績が明らかになった。



 
■ネコパパ感想
印刷紙芝居、順送り脚本。保育や学校、図書館の現場で私たちの親しんでいる紙芝居の形式が、19338月、一人の女性の手で作られた。
このことが明らかになったのは画期的なこと。これも資料館が発掘し、高塚さんという「見る目のある」学芸員の手で精査されたからこそでしょう。動画メディアの起源の一つが確かめられたということでもあると思います。発表後、高塚さんの知人でもあるシュレーゲル雨蛙さんと「一般人から見たらゴミの山のようなものでも、見る人が見たら宝物という好例ですね」と話し合いました。
学問とは宝探しのような興奮に満ちている、と改めて感じられた発表でした。

 
 
口演童話による戦時下の防空指導―金沢嘉一『闘ふドイツ少年』を事例として…お茶の水女子大学大学院 中村美和子
 
■戦意高揚を煽る口演童話



戦時下の口演童話の国策協力が具体的にはどのようなものであったのか、網羅的に把握できる資料は確認できない。そこで着目したのが1942年発会の「社団法人日本少国民文化協会」童話部幹事に就任していた金沢嘉一の活動である。
金沢は童話台本『闘ふドイツ少年』を執筆し、戦争協力貢献の一翼を担ったと思われる。この作品は本研究は同協会の機関誌『少国民文化211号、1943(昭和18)に「防空話材」として掲載。中村氏は台本製作のもととなった新聞記事の調査から、金沢台本にどのような戦争協力の内容が含まれているかを明らかに。
同誌発行の1943年は防空対策が急激にクローズアップされた年。
10月に開催の幼児防空対策研究会では定員400名のところ600名が詰めかけるほどの関心度であった。この会では防空口演童話の実演も行われた。
そのひとつ『闘ふドイツ少年』の元になったのは朝日新聞記事『闘ふイタリア少国民』である。この記事は同年627日に掲載。ミラノ空襲における少年少女の被害と愛国的な言動を報じたものであった。『闘ふドイツ少年』では、それをベルリン空襲防空訓練における団班長の避難時における勇気ある行動に置きかえている。
防空訓練の指導や班長・少国民としてのロールモデルを提示し、国家が望む教育に合致した内容に。後半、けがをした主人公が40分続く手術に耐えた後、団長に欲しいものを聞かれて鉄砲を所望するところなど、新聞記事に書かれた内容を一層戦意高揚をたかめる教育効果を高めていたと思われる。




 
■ネコパパ感想
戦後は歴史教育、平和教育の第一人者として知られた金沢嘉一が戦時中こうした活動に手を染めていたことは、彼と直接のご縁もあったシュレーゲル雨蛙さんにとっても重い話のようでした。金沢の戦後はまずそれを子どもたちに謝罪することから始まった…語りの芸術は戦後の国語教育理論にも大きく生かされたようです。
さて、ネコパパが思ったのは、防空対策はたしかに時代性の感じられるものですが、戦中のきな臭さをはずしてよく見ると、それはそのまま現在の防災教育に通底するものがある、ということです。
リーダーの指示で、整然と行動して難を避ける。必要と思えば、他者のために身を擲つ姿勢を讃える。防災教育として今も行われている内容ではないでしょうか。
問題は、地震台風などの天災と、人が引き寄せた戦禍は全く違うものなのに、教育の場では同じように対策が語られ、同じような行動が称揚されるという薄気味悪さです。
両者をあえて一緒くたにして違いから視点をそらし、行為のみ賞賛。そこに愛国心を煽るメカニズムが透けて見える。
人間の業の深さを感じてしまうのは考えすぎというものでしょうか。
 
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コメント

コメント(2)
No title
yositaka様、愚生が金澤先生に教えを受けたというのは恐れ多い誤りでして、ほんとうに一度だけ本を作ったときに、小生、末席に名を連ねたことがあるだけなのです。ただ、編集会議でいお会いしたことはあり、温厚なおじいちゃんと言う感じでした。ということなのです。
高塚さんとは、同窓の先輩、後輩で、いつも小生頼りない先輩でした。高塚さん、いい発表だったと思います。区立や市町村立などの小さな博物館は、学芸員の力量が企画展などにもろに出てきますので、力のある学芸員が頑張っている博物館は今後も期待したいです

シュレーゲル雨蛙

2016/11/21 URL 編集返信

No title
雨蛙さん、共著に名を連ねたのですから、十分に深いご縁だと思いますよ。でもちょっと訂正しました…
娘の親友にも学芸員がいます。大変な上に職場としても安定しない実情があるそうです。全くこの国は文化に冷たいと思います。

yositaka

2016/11/21 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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