メリーゴーランド40周年①僕は、ここで育った

四日市の子どもの本専門店、メリーゴーランドが今年の75日で40周年。



店主の増田嘉昭さんとスタッフの、まさに情熱の証、心からお祝いを申し上げます。
201679日と10日の二日間、これを記念して開催された記念講演会にアヤママと二人で行ってきました。
 
会場は大盛況。初めの増田さんの挨拶では、お店とは縁の深い作家、今江祥智さんからも素敵な蘭の花が届いたとのことです。
「天国にも、花屋さんはあるんでしょうか」と感慨深げな増田さん。



2015320日にあちらに行かれた後も、心配りを忘れない今江先生なのでした。

 
記念講演会は二人ずつの対談形式で4セット、総勢8人という豪華なものでした。
ネコパパたちが聞いたのはそのうちの3セットです。
 
まず、9日の前半分、店主の増田嘉昭さんと、彼の先輩で日本の子どもの本専門店の草分けである名古屋・メルヘンハウス店主の三輪哲さんの登壇です。



 
増田「三輪さんがおられなかったらメリーゴーランドはありませんでした。初めてメルヘンハウスにいったとき、女の子が一人、座って本を読んでいた。それを見て、全身に電気が走った。これが自分のやりたいことなんだ、と思った。それで三輪さんに話したら『あなたはお金持ち?お金ある?』と言われたんです。『ありません』『やめときなさい…』と。
三輪「子どもの本屋さんは大抵、商売よりも本に夢中です。増田さんは来るたびに子どもの本の魅力を情熱をもってしゃべるのです。それで私も彼は本物だと思い、応援することにしたのです」
 
選書のこと、ファックスを初めて入れたこと、サマーカレッジをクレヨンハウスの岩間さんも加わって三人で立ち上げ、22年間も続けたこと…話はどんどん弾んでいきます。
 
増「そもそもメルヘンハウスがスタートしたきっかけは?まだ30歳くらいでしたよね」
三「29でした。きっかけは『宝島』です。僕は五人兄弟の四番目で、本を読まないガキ大将でした。ところが4年生の時の、よく酔っ払ってフラフラで教室に来るような担任が『僕の一番好きな本だ』と、読み聞かせしてくれた。熱い日で、体育ができなかったんですよ。あまり聞く気もなかったのに、僕はいつの間にか主人公のジムになって、海賊の足音に震えていたんです。先生は三カ月かかって、全部読んでくれた。初めて本のわくわく感を知った。大人になって、子どもたちみんなにこの気持ちを伝えようと思った。それが本屋を作るきっかけです」
 
増「僕は就職しましたが、ずっと客の顔が見えない仕事ばかりで、嫌気がさしていました。それで名古屋に出ると、明示屋に行ったり、名古屋市科学館でプラネタリウムを見たりして遊んでいました。だからメルヘンハウスは衝撃でした。絵本というのは、表紙を見せて飾ると、こんなに光るのかと思いました」
三「あんな棚は当時はなかったので、靴屋で使うスタンドを改造して自作しました。檜の切り株の椅子も自作です」
 
増「メルヘンハウスで出会った絵本は素晴しくて、刺激がほしいときは行く。『あおくんときいろちゃん』『はらぺこあおむし』。らくだ出版で出していたブライアン・ワイルドスミスやチャールズ・チャールズ・キーピングも凄かった。これ、本当に子どもの本ですか!と叫んだくらい」
三「僕もキーピングは好きでした。今では図書館でしか見られないけれど、みなさん、ぜひ彼の名前を覚えてください」



 
出版社各社との付き合い、書店に置くのが難しかった至光社との契約…創成期の苦労話のあれこれ…
 
増「僕の最初の一冊は『コンチキ号漂流記(ヘイエルダール)です。僕の好きなカヨコちゃんが本好きで、彼女の借りた本を僕も借りた。ブックカードに名前が並んで入るのがうれしかった。ある時、たまたま「その本」の隣にあったのが「コンチキ」で…これで一気に引きこまれました。ところで三輪さんは、どんな本を一番目立つ所に置くんですか」
三「一番紹介したい本が優先です。それが子どもに受けると嬉しい。本の基準は自分の基準じゃなくて、子どもに教えられたことが多い。僕は40年間、ずっと子どもに教えてもらってきたのです。『からすのぱんやさん』は、最初は好きになれなくて、絵が下手なのにどうして子どもは喜ぶのかと思っていました。ところが子どもたちは、全部読むのも大変なのに、読み終わると、もう一回読んで、と言うんです。この本はデータがたくさんある。子どもはデータがいっぱいある本が好きなんです」
増「それに、かこさとしさんは『通』です。この当時クロワッサンを表紙にしているんですから」
三「『大きなかぶ』を読み聞かせたときにね、5歳くらいの子が『抜けるわけないじゃん』って言うの。『どうして』『かぶに足がひっかかってる』とか『この話、なんかおかしい。お父さんとお母さんはどうしていないの』とか。でも、本を買うのは大人なので、困るのは書評です。大人と子ども、どっちの立場で選ぶのか」
 
絵本の話は「すてきなさんにんぐみ」などの今江祥智訳のアンゲラー作品から、「ぞうのボタン」「ねずみくんのチョッキ」へと移り…
 
増「『ねずみくんのチョッキ』は着る動物が大きくなって、チョッキが伸びます。ところが、オットセイが着たところで、ある子どもがオットセイのひげが描いてないのに気付く。作者の上野さんに電話したら、『えーっ、ほんと?』ミスだったんだ。でも、その子が『きっと、きついチョッキを着るときに、ひげが取れたんだ』と言った話を聞いて、修正しないことにした。それで、いまでもそのままです。当時は子どものお客を大事にしたんだね。大人はさっぱり、気付かない」
三「この本の最後のページは奥付で、本文じゃないのです。そこに伸びたチョッキをブランコにしてぞうとねずみくんが遊んでいる絵がある。もともとはなかった絵です。上野さんは、伸びたチョッキを、ねずみくんが泣きながら引きずっていく終わりが悲しいから、一度はもう、出すのをやめようと思ったのです。それを止めたのが、担当編集者だった佐藤浩二さん。奥付を生かすように提案して、このブランコの場面ができたのです」



増「最近は新刊が次々出るけど、そんなに出なくていい。まだまだ知らない本がいっぱいあるし」
三「『ぐりとぐら』は50年も生きている。これで育った子が親になって店に来ると、感動するんです。まだあるの!でんでんむしがまだいる、まだいる、ってね。子どもの本は人の奥に深く深く沈澱するものなんです」
増「三輪さんはいつも、俺たちが歴史を作っている、この創作を次の世代に受け継ぐまでは頑張らなければ、と言われていた。僕は三輪さんの信念が当時はわからなかったけれど、今ではそのことを痛感しています。あるとき、『よあけ』の好きだった少年が大人になって店にやってきた。彼は僕がニューヨークのブルックリンで子ども博物館を訪れたとき、そこにいた人と同じ言葉を言ったのです。『僕は、ここで育った』ってね」
…しばらくの間絶句する増田さん。
三「心の沈澱は、次の世代にまた浮上します。そして回っていくんだと思う」



 
増「三輪さん、めげそうになりませんでしたか」
三「今でもめげていますよ。子どものことをやるのは大変。数字のことを言ったらやれない。出版産業なんて言い方は嫌いだ。文化と言ってほしい。そして正面から子どもに向き合う以上、大人はこれでいい、と思ったらだめなんだ」
増「子どもの本を商品って言うな!が三輪さんですよね。僕はメルヘンハウスにはずっと盗みに行っていた。でもいつの間にか、同じ戦場にいる者同士という感覚になっていた。僕はメルヘンハウスを頼ればよかったのに、三輪さんには頼るものがなかった」
三「でも楽しい。『子どもの○○』と考えること自体が楽しい。だからこれまで続けられたと思います」
 
お話が一段落すると、フロアにおられたクレヨンハウスの同士、岩間さんやこれから店を運営していく若いスタッフたちも登壇し、大きな拍手が送られました。
二つの名店は、今後も多くの人々の支えで航海を続けていくことになりそうです。
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コメント

コメント(2)
No title
専門店には及ばなくとも、
町の書店の児童書コーナーが、
もう少し頑張ってくれるといいなぁって
行くたびに思います。
一人でいいから、児童書に詳しいスタッフが
居るといいんだけど…と。

ユキ

2016/07/16 URL 編集返信

No title
ユキさん、近くには近郊型大型書店と駅ビルに入っている個人書店しかありませんが、大型の方は児童書コーナーを設け月一で読み聞かせをおこなっています。駅ビル店は昔からのなじみですが、ずっと児童書は気を付けてくれて数は少ないながらよい新刊を選んでいます。やはり生き残るには児童書棚の充実が必要だと思います。

yositaka

2016/07/16 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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