「運命」は息絶えるように終わった

ベートーヴェン
交響曲第4番 変ロ長調 作品60
交響曲第5番 ハ短調 作品67「運命」




ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス[オリジナル楽器使用]
指揮:ニコラウス・アーノンクール

[録音]201558日~11日、 ウィーン、ムジークフェラインザール
[レコーディング・プロデューサー]マーティン・ザウアー
[レコーディング・エンジニア]ルネ・メラー

Sony Classical CD

 
意外にも、このコンビの初録音で、指揮者アーノンクール最後の録音となったもの。しばらく寝かせておいたものを、やっと聞いた。
おそるおそる、という気分で聞いた。
 
ピリオド奏法が徹底された、少人数での演奏だが、第4はそれほど違和感なく聞けるのは、なだらかな部分の多い曲想のせいだろうか。
弦だけのパートは、例のぬめるようなノンヴィヴラートの癖っ気はあるものの、これはこれで独特の美しさが感じられ、第2楽章まではすんなりと聴ける。
しかし後半、管楽器も含めてフォルテになるところは、弦がかき消され、雑然とした響きになる。

第5は一層個性的だ。
フレーズは常に短く、減衰し、しかもブロックごとに大きな間が入る。
ちょっとハイドンの交響曲を思わせる「急停止」が、音楽の流れを切断する。
そしてここでも、弦だけの部分や木管のソロ部分はピリオド楽器らしい古雅な音色を味わうことができるが、
強奏部分となると強い打楽器、金管楽器が他のパートをすっかり消し去ってしまう。声部の重なり合いや立体感を明瞭に聞き取ることも難しいので、だんだんストレスが溜まってきてしまうのだ。

指揮者にとって最後の演奏、という先入観もあるせいか、音楽全体に切羽詰まった焦燥感が漂っているようにも聞こえる。
死を目前にしたアーノンクールの心境の反映でもあるのだろうか。
それが、もっとも顕著に感じられるのは、終結部だ。
終わりそうで終わらない和音が何度も連続する、冒頭と並んで有名な部分だが、アーノンクールはここで突如テンポが落とす。さらに、和音と和音の間の間が不自然に長く、不規則になり、そして最後は、消え去るように弱いフェルマータで、息絶えるように終わる…
関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメント(6)
No title
この音源は聴いていません。ヨーロッパ室内Oとの全集は手許にはあるのですが、どんな演奏だったか忘れました。もう一度聴いてみますが、このウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏と、とどう違うのだろうか・・・
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとのコンビは創設以来ですから50年以上・・これはギネス記録かも・・
最近アーノンクールが亡くなったのは残念ですね・・・

HIROちゃん

2016/05/21 URL 編集返信

No title
HIROちゃんさん、私はヨーロッパ室内Oとの全集は「田園」しか架蔵していないので比較できないのですが、
サイト情報ではタイミングは変わっていないようです。でもECOは現代楽器ですし違っている可能性は高いです。機会があれば聞き比べてみたいものです。

yositaka

2016/05/21 URL 編集返信

No title
ぼくもまだヨーロッパ室内管との録音しか聴いていません。最期ということはさておき、このコンビのベートーヴェンはそそられます。が、今、娘が第5を練習しているので、聴いてみるのは本番が終わってからにしようかな

Loree

2016/05/22 URL 編集返信

No title
ロレーさん、これは繰り返し聞きたいかどうかはともかく、一度聞くだけでも頭にばっちり残ってしまうタイプの演奏です。そういう意味では危険物の色合いが濃いです。以前、ブーレーズの「第5」を初めて聞いた時の感覚。もちろんスタイルは根本的に違うのですが。

yositaka

2016/05/22 URL 編集返信

No title
アーノンクールは、私がまだピリオド演奏を苦手とした時期に頭角を現した方ですので、なんとなく苦手意識がつきまといます。
それと、当時は私に縁遠い古楽やモーツァルトあたりが多かったもので余計に近寄ることがなかったかもしれません。
晩年はベートーヴェンをはじめ、色んな分野にも進出していましたから、少しは聞いてみようかなと思っていた矢先に亡くなってしまいました。
ピリオド演奏のベートーヴェンは、パーヴォ・ヤルヴィの映像をいくつか見ましたが、かつてほどの抵抗感は薄らいできたように感じています。
アーノンクールの遺作ともいえるこの録音、ちょっと聞いてみたい気がします。

gustav_xxx_2003

2016/05/22 URL 編集返信

No title
グスタフさん、ピリオドスタイルを牽引したアーノンクールの姿勢はこの最後の録音にも刻印されていますけれど、それ以上に主観性の強い、自己告白的な演奏に驚かされました。彼にとって音楽は自我の発露、自己主張の舞台というのに尽きたというのでしょうか。
個性的な演奏が嫌いではない私にも、行き過ぎた演奏と感じますが、彼は原初的な意味での「バロック主義者」だったのかもしれません。

yositaka

2016/05/22 URL 編集返信

コメント投稿
非公開コメント

プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

ご訪問ありがとうございます

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR