怖いクラシックー『田園』も怖い曲?

『怖いクラシック』


中川右介
NHK出版新書 2016.2
 

クラシック音楽の王道は「怖い音楽」である。
本書は「恐怖」をテーマに巡る2000余年の音楽史だ。

今回も筆者独特の、主観を排し、事実、データに語らせる書きっぷりが快い。
この名調子に慣れると、対象への思い入れが過度に表面化した文章を読むのがうっとおしくなる。近頃は読書スピードがめっきり低下したネコパパでも、中川氏の文章ならスピード感を維持して読めるのも嬉しい。
 
さて、今回の切り口は、クラシック音楽の「8つの怖い面」。
 

「第一の恐怖」は「」。父のプレッシャーの中から、「心地よくない音楽」を誕生させたモーツァルト。
「第二の恐怖」は「自然」。自然の中の風景からその怖さを発見したベートーヴェン。
「第三の恐怖」は「狂気」。標題音楽を生み出し、内面の音楽化をはかったベルリオーズ。
「第四の恐怖」は「」。「葬送行進曲」を生み出し「死のイメージ」を確立したショパン。
「第五の恐怖」は「」。「レクイエム」の「怒りの日」によって「宗教のコンテンツ化」を完成したヴェルディ。
「第六の恐怖」は「孤独」。チャイコフスキーを先駆に「抽象的な恐怖」を表現したラフマニノフとマーラー。
「第七の恐怖」は「戦争」。戦争の恐怖を田園の情景に紛れ込ませ「象徴の音楽」としたヴォーン=ウィリアムズ。
「第八の恐怖」は、「国家権力の恐怖」。弾圧の中で「隠喩としての音楽」を表現したショスタコーヴィチ。
 

 
2章を見よう。
ベートーヴェンでは「運命」と「田園」の二曲の交響曲を取り上げている。
「怖い音楽」として筆者が重きを置くのは「運命」よりも、むしろ「田園」の第4楽章だ。
標題音楽、絶対音楽という言葉も無かった時期に、この曲は「重苦しいもの、激しいものこそが至高の芸術となる」前衛と革新性がを想像したと述べ、合わせて、初演から1世紀後の1919年に書かれたジッドの「田園交響楽」から、盲目のヒロイン、ジェルトリュードの台詞、

「あなたの見てらっしゃる世界は、本当にあんなに美しいのですか」

を引用する。
さらに1947年、フルトヴェングラーの復帰演奏会でこの曲が選ばれた意味にも言及していく。
ジェルトリュードの言葉は第2楽章「小川のほとり」について述べたもの。
しかしこの言葉には、現代の私たちを震撼させるものが含まれてはいないだろうか。ネコパパも確かに読んでいるはずだが、そんなことはすっかり忘れていた…

 
ラフマニノフを扱った第6章では、ピアノ協奏曲第2番を取り上げる。
筆者はこれを「20世紀に書かれた最初の協奏曲」であり、同時に「20世紀最初の音楽」であるとも述べる。
「弔いの鐘のような響きで始まる『怖い音楽』によって、20世紀は始まったのだ。それは終わってしまった19世紀への弔いだったのか、それともこの後の世界大戦や革命と粛清でのおびただしい数の犠牲を予言するものだったのか」…

 
戦争の音楽を扱った第7章も、着眼点はユニークだ。
1次大戦前に書かれ、大戦が終了した年に初演されたホルスト「惑星」の第1曲『火星』に込められた生々しい戦争の影。
そして、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第3番。
作曲者によって名づけられた「田園交響曲」という標題は、実は反語的なもので、これは作曲者が第1次大戦に従軍した地で書かれた曲である。そう思って聞くと、牧歌的な田園風景の影に潜む戦争の恐怖が音楽として立ち現れてくるという。


時代を隔てて作曲された二つの「田園交響曲」が、牧歌的な表題性を持ちながらもも、それぞれに恐怖を内包しているという事実。
だとしたら、多くのシリアスな音楽が、喜びや幸福、快楽ではなく、恐怖や孤独、負の感情表現にますます傾斜していったことは明らかだろう。

 
脱稿後、筆者自身も驚いたそうだ。
「怖い音楽」の流れはヨーロッパ音楽史の流れと意外なくらい一致する。
「つまり、クラシックの王道は『怖い音楽』だったのだ」…
 
この仮説をさらに緻密なデータによって裏付けていくとしたら、本格的な学術論文にもなりうる構想だ。しかし、筆者がねらっているのはそこではない。
例えば、本書はワーグナーとリヒャルト・シュトラウスを取り上げていない。理由は「作品のほとんどが怖い音楽なので、かえって書きようがなかった」という。

「書きよう」とは物語性のことだ。

筆者は無数の音楽史のパーツを渉猟し、「語り甲斐のある」断面を抽出し、巧みなひねりを加えて読者に提供している。
提供であって、主張ではない。
そこから私たち読者は、それぞれの読みで、問題を発見し、自分なりの解釈を行っていくはずだ。
読者に参加を促すデータの巧みな選択と見せ方の妙。
それが単なる薀蓄話に終わらない、本書の面白さをつくっている。
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コメント

コメント(6)
No title
かつて「レコード芸術」という雑誌を、まだ真面目に読んでいた頃、三浦淳史さんのお書きになったものはかなり熱心に読んでいたのですが、近頃はこの手の本は、あまり読まなくなりました。

なかなか面白そうではありますが、章立てを拝見して感じたのは、いろんな音楽を聞いていますと、「絶望」あるいは「諦観」というのも音楽の大きな主題であるようにも思うんですがねぇ…
それは人生などという大げさなものでなくとも、果たせぬ恋心であったりすることもありそうな気がします。

gustav_xxx_2003

2016/03/23 URL 編集返信

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グスタフさん、三浦淳史さんの文章は私も好きでした。憶測や印象に走らず、事実とデータを大切にされているうえに、文体そのものが粋でした。ネット検索も出来なかった当時、あれだけ信頼性の高い内容を書くのはどれほど大変だったことか。その後の論者たちがあまり彼に学ばなかったことも、また著書が少ないことも残念なことです。
今も三冊の評論集をときどき読み返します。

yositaka

2016/03/24 URL 編集返信

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とても面白そうな本ですね
ぜひ読んでみたいと思いました♪

minami

2016/03/24 URL 編集返信

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minamiさん、中川右介氏の著作は基本的に同じ書き方がされていて、私は『巨匠たちのラストコンサート』『「未完成」 大作曲家たちの謎を読み解く』等の音楽ものをよく読みます。歌舞伎、映画、歌謡曲などにも造詣が深いようですが、そのあたりは未読。音楽以外では『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか 「ドラえもん」の現実』という不思議な本も書かれていて、これは面白く読みました。

yositaka

2016/03/24 URL 編集返信

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三浦淳史さんの文体は、論理的思考が欠落しているわたしでも、淡麗辛口「上善如水 純米吟醸」のようにすいすい入ってきました。三浦さんの文からビーチャム指揮のディーリアスを教えてもらったこと感謝しています。
中川氏の本は未読ですが、恐怖の項目に「沈黙」があってもいいかなと思いました。

木ノ下淳一

2016/03/26 URL 編集返信

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木ノ下さん、「沈黙」の系譜があるとしたらそれはフォーレ、ドビュッシー、ベルク、武満徹の流れになるんでしょうか。想像が膨らみますね。
三浦淳史さんの文章は味わい深さやデータの緻密さも然ることながら、演奏分析の面でも、当時から大家の扱いだった吉田秀和さんよりもずっと腑に落ちるものでした。彼の著作は、本になっていないライナーノートの類も多いはずで、全集が出てしかるべき人だと思います。

yositaka

2016/03/27 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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