悠久の時の流れを


ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調

■ティボール・ヴァルガ(Vn)
■ミラン・ホールヴァット(ホルヴァート)指揮 ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団
 ※B面Band2・3は、メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ヴィルヘルム・メルツァー(Vn)ガボール・エトフォス指揮ハンブルク交響楽団
■テイチク/オーバーシーズ 独ステレオ・テープ原盤
■録音不明 ライヴとの説も

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、彼の作品中でも、幸福感にあふれた名曲。第一楽章の広々と心が開かれていくようなテーマもさることながら、続けて演奏される第二・第三楽章の伸びやかで、嬉々としたところが好きだ。それでなお、ベートーヴェンらしい「大きさ」を持った音楽。
曲はティンパニの静かな連打から始まる。長い序奏。指揮者ホルヴァートはゆったりと、中身の詰まった響きで進めていく。そして、いよいよ独奏者の出番だ。
空から舞い降りるような出だしから、ティボール・ヴァルガのヴァイオリンの音色は、高貴で、心の赴くままに、自在。自在でありながら、テンポの動きや情熱的な抑揚、といった個性が前面に出ることがない。どこまでも自然で、曲そのものの良さが染みとおるように伝わる。楽譜の再現というよりは、音の全てが流れる水のように、自発的な動きとしてあふれ出す。
とりわけすばらしいのが、第二楽章。短い間奏曲のように感じがちなこの緩叙楽章が、はじめから終わりまで、歌と香りに満たされた、どこまでも続くかのような音楽となる。その気分は、フィナーレに入っても少しもかわることがない。

ブロニスラフ・ギンペルと同じく、ティボール・ヴァルガも千円盤時代からおなじみの名前。
ただし、レコードはこの一枚だけ。最初はコロムビア、のちテイチクのシリーズに入っていた。原盤の「独ステレオ・テープ」は謎のレーベルで、ファンに郷愁をもって愛好されている指揮者ハンス・ユルゲン・ワルターの一連の録音も供給していたと記憶する。

ヴァルガの名が再び私たちの前に現れたのは、1993年10月。スイス・クラーヴェスから出された四枚のCDである。
当時、拡大をはじめた外資系輸入盤店が、膨大な活字情報を掲載したリーフレットやフリーペーパーに大きくスペースを割いて紹介、たちまち話題になり国内盤も出された。
たった一枚の千円盤で記憶されていた人物が、二十数年後によみがえったわけである。

この四枚については、評論家平林直哉氏が紹介している。



ヴァルガの名前はヴァイオリニストに関する本にもめったに登場しないし、実際に彼の名前を知っているクラシック・ファンの数も非常に少ない。…中略…ヴァイオリンものの収集にかけては多少なりの自信を持っていた私も、恥ずかしながら彼の存在を知ったのはごく最近のことだった。



これは、1994年の執筆。博覧強記で知られる平林氏も、クラーヴェス盤が出るまではヴァルガをご存知なかったようだ。しかし、一枚だけとはいえ、当盤は、かなりの長期間、店頭に並んでいたはずである。平林氏は当時から廉価盤嫌いだったか。
氏はこのベートーヴェンには言及していない。しかしクラーヴェス盤を評して、次のように。



悠久の時の流れを思わせるような深い味わいに満ち、温かくゆったりとした音楽運びである。(モーツァルト:協奏曲第五番)
音楽は輝かしく凛々しく、そして大いなる悲しみと愛情とを持って滔々と流れる。およそレコード録音として残っているものの中で、かつてこんなに美しい音楽があっただろうか。(チャイコフスキー:協奏曲)
ー以上、引用は『マスコミから遠ざかっていた真の巨匠ヴァイオリニスト ティボール・ヴァルガ』「クラシック中毒」(青弓社)所収ー


「悠久の時の流れを思わせる」とは具体的ではないが、このように書かせてしまう芸の奥行きが、ヴァルガの音楽には存在している。人生の大半を、ソリストとしてではなく、教師として後進を育てることに費やした。それが彼の人生の美学だった。


ハンガリーのヴァイオリニスト。ブダペストのフランツ・リスト音楽院にてカール・フレッシュならびにイェネー・フバイに師事。6歳で公開演奏会に出演し、10歳でメンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲ホ短調》を演奏、13歳で最初の録音を行なった。
1947年に共産主義政権を逃れて、イギリス国籍を取得する。指揮活動にも着手、デトモルトにティボール・ヴァルガ室内管弦楽団を結成。デトモルト高等音楽学校に弦楽器部門を創設した。1955年よりスイスに移るが、デトモルトにおける地位も維持した。
1964年にシオンにおいてティボール・ヴァルガ国際音楽祭を開催するとともに、これに関連して国際音楽アカデミーを創設。ティボール・ヴァルガ国際ヴァイオリン・コンクールも併設する。優勝者に、ジャン=ジャック・カントロフやワディム・レーピン、ミリヤム・コンツェンらがいる。
2003年にスイスの自宅において永眠。(ウィキペディアによる)



共演の指揮者、ミラン・ホルヴァ-ト。彼もおなじくCD時代に蘇生した、忘れられていた巨匠である。その「知られ方」は、なんとも奇妙なものであったが、その話は、またいずれ。

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コメント

コメント(3)
No title
はじめまして、過去記事へのコメント失礼します。ティボール・ヴァルガ検索で来ました。

平林さんは「クラシックプレス」第2号(2000年春号)でベートーヴェンを紹介していました。
「ヴァイオリン協奏曲は絶品。まず、独奏の出る部分の遅いこと(史上最遅?)、そしてその夢を見るような浮遊感。その後、テンポはかなり普通とはなるが、身も心もミューズの神様に捧げきった献身的な態度に感動しないものはいまい。第2楽章も、常になでるような優しさと愛情にあふれ、第3楽章もその柔らかい語り口とゆったりした進行には本当に心がなごむ。クラーヴェスにあった演奏もそうだったが、常に高貴な香りを失わないのもヴァルガの特色である。」
(ティボール・ヴァルガ協会のCDの紹介文。TUXEDOから出ている同じ演奏者名の録音は全く別の演奏であり、他人のものである可能性があるとのこと…。同誌・第13号より)

ご紹介のジャケットは初めて見ました。レコードでしょうか?
ヴァルガは別の指揮者・オケと録音したベートーヴェンもあるらしく、いつかそれも聴いてみたいものです

Loree

2010/06/27 URL 編集返信

No title
ロレーさんはじめまして。コメントありがとうございます。
ご紹介の平林さんのコメントは、私も読みました。
協会盤はぜひ聴いてみたいと思っているのですが、まだ未聴です。
TUXEDOから出ている同じ演奏者名の録音が、当記事で紹介している「独ステレオ・テープ」原盤のものと同じかどうかも不明で、私にとっても気にかかっていることなのです。
当記事で紹介している盤は、かつてはコロムビアの「ダイヤモンド1000シリーズで出たもので、のちその原版契約がテイチクに移行するに伴い、同社から発売されたものと見られます。演奏者の真偽はともかく、日本で長年「ヴァルガのベートーヴェン」として聴かれててきたのはこの盤だったはず。しかし当時は平林さんの目にはとまっていなかったようです。
演奏内容自体は記事に書き込んだ通り、瑞々しさと高貴さにあふれた得難いもので、私自身はヴァルガで間違いないと思っています。

yositaka

2010/06/27 URL 編集返信

No title
おっと書き忘れました。これも、その前のコロムビア盤も、1970年前後に出されていたアナログ・レコードです。

yositaka

2010/06/27 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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