少年の名はジルベール~竹宮惠子と大泉サロンの形成

少年の名はジルベール




著/竹宮惠子 
発売日2016/1/27
小学館 定価本体1,400+
 
少女マンガの黎明期を第一線の漫画家として駆け抜けた竹宮惠子の半生記。
石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。
高校時代にマンガ家デビューし、上京した時に待っていた、出版社からの「缶詰」という極限状況。
後に大泉サロンと呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。
当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。
そして現在、京都精華大学学長として、学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは…
1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』などベストセラーを連発した著者が、「創作するということ」を余すことなく語った必読自伝。
―小学館ホームページより
 
ネコパパには七つ年下の妹がいて、それは人生に結構な影響を与えてきたと思う。
ひとつは児童文学の発見。
妹が夏休みの課題図書で読んでいた松谷みよ子の『モモちゃんとプー』を覗き読みたこと。
ほのぼのとした想定とは裏腹の、象徴性に満ちた内容に驚き、その書き手がかつて自分も小学生のとき一気に読んだ『龍の子太郎』と同じであることを知って、二度驚いた…
1974年の夏のこと。ネコパパ、18歳。

もうひとつは、少女漫画の発見。
妹は月刊誌『りぼん(集英社)を購読していた。漫画世代のネコパパだが、当時の男の子は基本的に、少女漫画は読まない。それでも、親類宅などで目にすると、人目を気にしながらこっそり盗み読んだことはあった。
感心はしなかった。
似たようなストーリーや、動きが少なく、アップの多い花模様の絵柄、アンバランスに痩身な人物の描き方や、星の輝く大きな目…
こういうものを好んで読む女子とは不思議なものだと思った。

しかし高校生になり、『りぼん』を毎月読むうちに、どうもそればかりではないようだ…という気がしてくる。
当時『りぼん』は目玉連載をまとめた小型の増刊を出していたが、そこに
ウィーン協奏曲(コンツェルト)
と題する一本があった。
ピアニストを志した日本の少年が、単身でウィーンに留学、さまざまな体験に揉まれながら「ぼくのモーツァルト」を探求していくストーリーだった。
「君はリヒテルやギーゼキングの透明感を研究するといい」
なんて台詞がさらっと出てくる。
黒衣の主人公を描くしなやかな描線は、あまり少女漫画的でなく、といって少年漫画とも違う。作中に「竹宮さん」として作者と思しき人物が登場し、主人公に「あなたは自分の言葉を持った漫画家なんですね」と評させる場面もある。




竹宮恵子。
「この人、何者?」と思った。1976年の7月。ネコパパ、20歳。
次々に読んだ、その中には連載が終わったばかりの古代エジプトを舞台にした長編『ファラオの墓』もあった。これを端緒に、大島弓子、萩尾望都、樹村みのり、山岸涼子ら、のちに誕生年から「24年組」と呼ばれることになる漫画家たちの作品にものめりこんでしまう。
すべては「覗き読み」から始まったことだった…
 
音楽テーマの竹宮の代表作に『変奏曲』がある。
ヨーロッパの架空の都市ヴィレンツを舞台に、早世を運命付けられた作曲家ウォルフ、スペインから亡命してきた野生児ヴァイオリニスト・エドナン、二人をバックアップする著名評論家(にして男色家)ボブの三人を主役にスケールの大きな物語が展開する。
『ウィーン協奏曲』も含む、これら一連の音楽ものには、当時はクレジットされていなかった原作者がいた。
増山法恵である。
東京練馬区に住む音大受験生だった増山は「24年組」のフィクサーと言うべき存在で、少女漫画の変革を目論み、九州出身の萩尾望都、竹宮惠子と生活をともにしながらプロデューサー的な役割を担い「大泉サロン」を形成してく。
『変奏曲』の一場面。ポブの館に連れてこられたエドナンが、膨大な書物が収められた書庫で時を忘れ読書に没頭する印象的な場面がある。「大泉サロン」に隣接する増山の自宅にも同様な書斎があり、漫画家たちの情報源になっていたという。
また、『変奏曲』には、初めてピアノとヴァイオリンで合奏するウォルフとエドナンの音楽を聴き、「音楽史に残る一場面に立ち会っているのではないか」と震撼するボブの姿が描かれる場面がある。ここなどは、萩尾、竹宮の二人の才能に震撼し、漫画革命の成就を直感する増山の姿にうまくシンクロするように思われる。



 
さて、本書『少年の名はジルベール』は竹宮惠子の自叙伝の体裁を取った一冊だ。
ネコパパのいちばんの期待は、「大泉サロン」の成立経緯と漫画家たちの研鑽のありさまがどのように書かれているかだった。
24年組」や「大泉サロン」については、手塚治虫を源とする漫画家集団を形成した「トキワ荘」のようには、語られ、書かれてこなかった。
そのことは、「戦後漫画史」の無視できない欠落部分になっていたと思う。
本書では、自叙伝の範囲なので十分とは言えないが、それがかなり具体的に語られている。
このテーマを論ずる一次資料としても、貴重な一冊だ。

ポイントは三つ。

「大泉サロン」での、増山法恵の位置づけ。
スランプの時期を経て、「風と木の歌」に至るまでの竹宮の作風確立の道のり。
「大泉サロン」で同居生活を送る萩尾望都との関係。

竹宮の作品世界の多くは、増山と出会い、ディスカッションを繰り返す中で、かなり早い段階から生み出されていた。
本書のタイトルにもなっている「風と木の歌」の主人公ジルベールの造形や時代、舞台設定もそうで、デビュー間もない「とある夜の長電話」で、既に名前まで決まっていたという。

けれども実際に作品になるまでには長い期間を要した。
二転三転して定まらない作風を確立すること、編集者の理解を獲得すること、読者層を形成すること…
作家としての知識と経験の蓄積が必要だった。物語の骨格だけで作品はできない。石畳一つ、家屋の窓一つのリアリティがない。
そんな状況に、知識だけでは補えない体験不足を感じ、当時としては冒険的なヨーロッパ旅行の実行につながっていく過程には説得力がある。
現地に立ち、家の壁の厚さ、屋根の天井の高さ、井戸の動き、紅茶の道具…目に入るものことごとくを真綿のように吸収していく若きクリエーターたちの姿が活写される。

―何も知らなかった。でも今は、本物が前にある。

そういえば、著者の恩師というべき石ノ森章太郎も、かつて同じような体験をしていたはずだ。

萩尾望都とのかかわりを語る部分を読むと、当時の竹宮の身を切るような切実さが伝わってきて、痛い。
作風を模索しながら悪戦苦闘する筆者に対し、早くから圧倒的な才能を発揮して、編集者からも「自由に描く」権限を与えられていたという、萩尾の斬新な表現の冴え。
それを見るたびに驚き、感嘆し、同時に自信を持っていた自分の語法が、既に過去のものになってきているのではないか…という不安が突き上げてくる。
その緊張と焦燥を、筆者は繰り返し、率直に語っている。
私にとっては、本書の一番の読みどころだった。

―私は大きな才能においていかれそうになる不安を、これ以上感じていたくなかった。

萩尾との別離以降、 『風と木の詩』連載に至る編集者との攻防戦や、『ファラオの墓』に込められた人気戦略も書かれているが、このあたりは既に他の場所で語られている内容も多い。
終章では、教育者の立場に軸足をおき、後進育成に精力を注ぐ現在の竹宮の思いが綴られている。
執筆活動はすでに過去のものになっているようにも感じられる。

「育てる」こともとても重要な仕事だ。
でも、ネコパパとしては、読者としてまだ読みたい作品がある。
そのひとつ
増山原作の『変奏曲』第2部にあたる『カノン』は、
ウォルフとエドナンの音楽的後継者でもある息子たちの物語で、そこに中年になったボブが保護者として絡む。
『変奏曲』とは違う、静かな空気が流れる物語で、竹宮の音楽ものの中で最も魅力的な作品、と個人的には思っているが、連載は30年以上中断したままになっている。
なんとかそれだけでも…と思うのはネコパパの「見果てぬ夢」なのだろうか。

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yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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