クルト・マズア氏、逝去…

ドイツを代表する指揮者、クルト・マズアさん死去
朝日新聞デジタル
201512200001分 

ドイツを代表する指揮者で、日本でも人気の高いクルト・マズアさんが19日、自宅のある米国で死去した。88歳だった。日本にいる家族に連絡が入った。妻は声楽家のマズア偕子(ともこ)さん。
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団やライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団など、ドイツの名門楽団で要職を歴任。ブルックナーやブラームスなどで、重厚さとぬくもりを感じさせる名演を数多く率いた。1991年からニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者やフランス国立管弦楽団の音楽監督も務めた。
社会的活動にも積極的で、東西ドイツ対立の平和的解決を目指して奔走。ベルリンの壁崩壊後も「東ドイツ子供基金」を創設したほか、日本にも支部がある「フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金」名誉会長を務めた。



奥様が日本人で、日本には縁の深い指揮者でした。拙ブログでも「田園交響曲の部屋」にも登場していただいた記憶があります。

1971年にゲヴァントハウス管弦楽団と初来日し、11月には名古屋公演もあったので、評判は高校生のネコパパの耳にも届きました。
当時は4チャンネルステレオが一世を風靡していて、ビクターがその最先端の技術を使って「英雄」と「田園」の国内収録を行ったことも話題でしたね。

1990年のドイツ統一のときは、市民にラジオで非暴力を呼びかけ、デモの時間に合わせてゲヴァントハウスの指揮台に立った人としても話題になりました。
ですが、音楽の評価は今ひとつだったという気がします。
ちょっと意地悪ですが、試しに、ネットで言葉をちょっと拾っただけでも…

来日時にふざけて「振るとまずい」と日本語で言ったらしい。真実なのが恐ろしい。
世渡りのうまいひと、機を見るに敏な人間。
マズアをカラヤンと同列にするのは、いくら何でも失礼だ。
手堅いが,もうひとつ生気がない。

政治的な動きで評判を落としている…

いろいろ出てきます。
彼は東独エテルナに多くの録音を行っていましたが、当時の発売元だった徳間音工の担当者も、マズアのレコードだけはあまり発売権を買わなかった、と書いていました。
私自身はどうかといえば、
「手堅く地道な職人」という印象で、FMで放送された、ドイツ統一直後の来日公演でのベートーヴェン全曲演奏会も、引き締まった造形が魅力と感じていましたし、
レコードでも、アンネローゼ・シュミット、ペーター・レーゼル、カール・ズスケの伴奏指揮をしたレコードは今も愛聴しています。

では、交響曲は?
うーん、と思いながら漁っていましたら…これがありました。

シューマン 交響曲全集
クルト・マズア指揮 ロンドン・フィルハーモニック
1990年録音 スネイプ・モールティングス TELDEC

交響曲第1番 第4番(初稿版)




交響曲第2番 第3番「ライン」



ちょっと確かめるつもりで聴き始めたのですが、一気呵成に聞き通してしまいました。
第1番「春」の冒頭から気迫がこもっていて、いつもの地味な印象がありません。早めのテンポでペースを変えずに進んでいきます。
第4番、序奏の音が明るいな…とおもったら、瞬時に切り替わって主部に突入。全く別の曲を聞くようです。シューマンの初稿を使っているのです。
第1楽章と第2楽章はきっちり終止、第3楽章と第4楽章はアタッカ、という「運命」の構成で書かれた、シューマン「最初の」交響曲の溌剌とした姿を、マズアは聞かせてくれるのです。聞きなれた改訂稿とは一味違う、重苦しさの全くない青春の響きです。

第2、第3を収めた一枚は、ライヴのような気迫が充満した演奏で、一段と聴き応えがありました。
第2は、バーンスタインくらいの共感度がないと、なかなか音楽に浸れないのですが、マズアの演奏は、テンポこそ淡々としているものの、すごい感情移入で、いたるところで唸り声が聞かれます。
第3番は、最初から叩きつけるような勢いがあり、それが最後まで切れません。

マズアの指揮が「物足りない」と思っていた理由のひとつは、
緩徐楽章のテンポが速いことでしょう。
N響と「第九」を演奏したときは、第3楽章の速いテンポに楽員が戸惑って、演奏停止という珍事が起こってしまいました。
このシューマンでも、第2の第3楽章や、第3の第4楽章はもう少しじっくり聞かせて欲しい…と思ったりしますが、これがマズアという人の自然な呼吸感だったのかもしれません。

4曲ともに、オーケストラの音色とスッキリと整えられた透明感も魅力です。
あの、ちょっと濁りを帯びた、シューマン独特の陰りがこの全集にはまったくなく、晴朗に息づく上機嫌なシューマンがいます。
イギリス最高の音響と言われる、ブリテンゆかりの名ホールでの録音です。

そういえばマズア、、ヒゲだらけの悪党面ですが、表情は基本的に柔和でした…
この絶好調の二枚を聴きながら、彼の波乱の人生を偲びたいと思います。

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コメント

コメント(6)
No title
88歳ですからね。でも寂しくなります。壁崩壊の立役者でもありましたね。同い年のブロムシュテットはどうなのか心配でもあります。

SL-Mania

2015/12/20 URL 編集返信

No title
クルト・マズア/ゲヴァントハウスの1975年の来日の年、11月27日、水戸市の県民文化センターで行ったコンサートに行き、ベートーヴェン交響曲第4番と第7番、エグモント序曲を生で聴いたことがあります。当時、ゲヴァントハウスの音に感激して帰ってきたことを覚えています。今でも当日のプログラムを持っています。

手元にはべートーヴェン交響曲全集とブルックナー交響曲全集のBOXのCDを持っています。

HIROちゃん

2015/12/20 URL 編集返信

No title
SL-Maniaさん、マズアも気づいたら、そんなに高齢になっていたのでした。今後はみなさんもフィルターなしで残された遺産に耳を傾けて欲しいものだと思います。
ブロムシュテットは毎年のように来日して元気な指揮姿を見せ、私たちに勇気を与えてくれまが、菜食主義が長寿の秘訣なんでしょうか。
それにしても、オーケストラの指揮者こそは、大器晩成の仕事の典型ですね。

yositaka

2015/12/20 URL 編集返信

No title
HIROちゃんさん、75年は二度目の来日で、名古屋では第9を降っていたようです。ベートーヴェン中心の堂々たるプログラムで全国を回り、20公演以上も演奏したんですね。良い体験をされましたね。
ところが、この年はベームとウィーン・フィル、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルも来日しました。まさに日本のクラシック熱の頂点のような年で、マズアとゲヴァントハウスの奮闘もかすむほどだったのでしょう。そして次の79年はカラヤンとBPOの来日年…このあたりのめぐり合わせの悪さも、ひょっとすると彼の不運だったのかもしれません。

yositaka

2015/12/20 URL 編集返信

No title
マズアは、その録音を多く聞いたわけではありませんが、指揮者としてよりも壁崩壊の立役者としての政治的側面の方が歴史に名を留めそうな印象の方が強いですね。
NYPも、なんだか政治的任用の印象が強くありました。
しかし、ベルリンの壁崩壊も四半世紀ほど前の話になってしまいました…

第九で止まったときは、完全に振り間違えたという話もありまして、私の中では余計に印象を悪くしたところがあります。
機会を見てマズアも聞き直してみます。

gustav_xxx_2003

2015/12/20 URL 編集返信

No title
グスタフさん、やっぱり「振るとまずい」もあったのでしょうかねえ。でも、このシューマンを聞いていると、彼に王道のベートーヴェンやブルックナーを期待したのは時代状況からの要請もあったのかもしれません。東独時代は選曲のの自由もなかったでしょうし…本当は、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン辺りを得意とした人だったのでしょう。

yositaka

2015/12/20 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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