第3回「思いレコ」コンサートが開催されました。

ネコパパの居住する町内で月に一度、定期的に催されている「憩いサロン」。
しかし今年は、コロ難儀の続くせいで、もう半年も実施されていませんでした。
それがようやく再開されるということで、再開第1回目のイベントとして、ネコパパがご案内を務める「思いレコ」コンサートが行われました。
そうはいっても、公共施設での集会には制限が多く、椅子の距離をしっかりとって定員は15名の予約制。いつもなら、地域の皆さんのお持ちのレコードを使ってのコンサートとなるところを、募集の期間もないということで、ネコパパ自己調達での実施です。
そうなると、クラシックばかり?
いやいや、
意表をついて、歌謡曲と映画音楽です。前者は、今年がメモリアルイヤーと言える古関裕而の作品、後者は最近中古店で行われていた「シングル盤・EP盤3枚100円セール」で調達したものが中心です。
それでは、はじまり、はじまり…
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2020年9月20日(日)八ツ屋憩いサロン                    

第3回「思いレコ」コンサート


ご案内 ネコパパ

今回は、LP,SP,シングル盤など各種のレコードを取り混ぜてご紹介します。
楽しんでお聞きいただければと思います。当日の飛び入りもOKですので、お持ちください。全部おかけできるかはわかりませんが…(飛び入りはありませんでした)

★古関裕而作品集

NHKの朝ドラ「エール」で脚光の集まっている古関 裕而(1909年〈明治42年〉1989年〈平成元年〉)。
彼の最初のヒット曲である「船頭可愛や」を、まずお聞きください。これは先日、名古屋のある場所で行われた蓄音機を聴く会の模様を録音したものです。
さて古関は、昭和期の歌謡界を代表する作曲家のひとりです。妻は声楽家で詩人の古関金子。
生涯で5千に及ぶ曲を作曲し、楽器を一切使わずに頭の中だけで作曲を行うことで有名でした。
福島に生まれ、幼少期より独学で音楽と作曲活動に親しみ、1929年には、国際現代音楽協会主催現代音楽祭作品公募のイギリス支部推薦作品にノミネートされます。
そのことを知った作曲界の権威山田耕筰の後押しで東京の楽壇に進出。日本コロムビアの専属作曲家として、ポピュラー畑に転身し、多くの作曲を手掛けました。最初のヒットは、先ほどお聞きいただいた音丸の「船頭可愛や」でした。戦前から戦中にかけては、中野忠晴・伊藤久男らの「露営の歌」、伊藤久男の「暁に祈る」、霧島昇・波平暁男の「若鷲の歌」などの戦時歌謡が、国民的に広く歌われました。
戦後は、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」や、その劇中歌である伊藤久男の「イヨマンテの夜」、戦争被害者への追悼を込めた藤山一郎の「長崎の鐘」二葉あき子の「フランチェスカの鐘」、ラジオと映画で評判となった、織井茂子の「君の名は」ほか、数多くの大ヒット曲を生み出ています。他方で、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、全国高校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの球団歌「タイガースの歌(六甲おろし)」、東京五輪の選手団入場行進曲「オリンピック・マーチ」、NHKスポーツ中継テーマ「スポーツショー行進曲」など、応援歌、行進曲の分野でも数多の作曲を手がけました。

イヨマンテの夜(1949) 歌 伊藤久男

作詞・菊田一夫、作曲・古関裕而
NHKのラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の劇中曲として、1949年に発表。劇中で山男が「アーアー」と口ずさむメロディを菊田と古関が気に入り、作詞されたものです。劇中音楽は古関のハモンドオルガンで即興で弾かれることが多く、これもそのひとつでした。アイヌの儀式に題材を採ってはいますが、内容は虚構で、アフリカの楽器であるタムタム(トムトム)(但しこの部分は単なる擬音ともとれる)が登場するなど、歌謡曲というより異国情緒をもつ重厚な歌曲の趣があります。

フランチェスカの鐘(1948)歌 二葉あき子

けだるい歌詞を持った悲恋ただようブルース歌謡を、情感たっぷりに歌いあげるのは二葉あき子です。フランチェスカ修道院は、菊田一夫の思いつきで実在しない場所のようです。昭和24年3月に松竹により同名映画化された際に、「長崎の鐘」と対比する歌として、広島の原爆で亡くなった人の鎮魂歌としてのイメージが強くなっていきました。


君の名は(1953)歌 織井茂子

NHKラジオドラマとして1952年に放送され、多大な人気を獲得した同名ラジオドラマの主題歌。放送では高橋二葉によって歌われましたが、映画とレコードは織井茂子によって歌われ、こちらが広く知られています。
当初は「人々の戦争体験を主題に」シリアスタッチで描かれたそうですが、やがて真知子と春樹との恋愛にドラマが集中し始め、人気番組に。ドラマの放送時間が毎週木曜日の夜8時半から9時までだったことから「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消えた」という逸話が生まれたのは有名です。この話は、ネット情報では松竹宣伝部の創作の可能性が高いようです。映画は第1部が1953年9月15日に公開。その「宣伝コピー」として考え出されたのかもしれません。

別れのワルツ~映画「哀愁」より(1950)演奏 ユージン・コスマン楽団

1940年に公開された映画『哀愁(Waterloo Bridge)』(日本では1949年公開)に使用された《オールド・ラング・サイン》を原曲としたワルツ。これを日本コロムビアがレコード化する際に、古関裕而に採譜を依頼、彼のアレンジで《別れのワルツ》として発表されました。楽団名は「古関裕而」をもじったもので、国内録音なのですが、コロムビアはちゃっかり、洋楽として発売しています。
この曲が使われた映画のダンスシーンが、閉店間際のシーンだったこともあり「閉店のBGM」として国内のデパートが採用し、「閉店の音楽」として定着することとなりました。
ちなみに、空襲下、橋の上で偶然出会った男女が再会を約束するというこの映画の設定は「君の名は」の下敷きになったものです。因縁を感じます。


とんがり帽子(SP盤)(1947)演奏 川田正子 ゆりかご会

『鐘の鳴る丘』は、1947年(昭和22年)7月5日から1950年(昭和25年)12月29日までNHKラジオで放送されたラジオドラマで、のちに映画化もされました。主題歌は脚本の菊田一夫作が作詞。「きのうに勝る今日よりも、あしたはもっと幸せに」とうたわれる歌詞に、古関はおおいに感激し、激賞したといわれます。レコードは当時最も人気のあった童謡歌手の川田正子とゆりかご会によるもので、1947年(昭和22年)9月に発売されました。

★映画音楽集

魅惑のワルツ(SP盤)~映画「昼下がりの情事」より 
歌 ダイナ・ショア

1957年のビリー・ワイルダー監督によるアメリカのロマンティック・コメディの劇中曲。主演はオードリー・ヘプバーン。ワイルダー作品への出演は『麗しのサブリナ』に次いで2度目でした。岸辺をデートするふたりの傍らで、ボートに乗った楽士たちがこの曲を演奏します。歌はダイナ・ショア。これのドーナツ盤が、幼少時私の実家にあって、よく聞いていました。個人的な思い出の1枚ということになります。

愛のロマンス~映画「禁じられた遊び」より
演奏 ナルシソ・イエペス(ギター)

『禁じられた遊び』は、1952年のフランスの反戦の願いを込めた映画です。 監督はルネ・クレマン、出演はブリジット・フォッセーとジョルジュ・プージュリー。戦争で孤児となった5歳のフランス人少女の運命を描いています。劇伴は全編を通して新人のギタリスト、ナルシソ・イエペスがギター一本で演奏。これによりいわゆる「愛のロマンス」と呼ばれるテーマ曲が、広く知られることとなりました。実は、イエペスの起用は予算オーバーにより、音楽に使うお金がほとんど残っていなかったからと言われています。

スマイル~映画「モダン・タイムズ」より 
歌 トニー・ベネット

『モダン・タイムス』は、1936年のアメリカ映画。チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した喜劇映画で、彼のサイレント時代最後の代表作です。資本主義社会や機械文明を題材に取り、労働者の個人の尊厳が失われ、機械の一部分のようになっている世の中を笑いで表現した風刺精神に満ちた作品です。「スマイル」は、チャップリンが作曲した音楽の中では特に有名なもの。映画では演奏のみで登場し、歌詞はのちにつけられたものです。多くの歌手がカヴァーしていますが、今日はトニー・ベネットの歌でどうぞ。


踊り明かそう~映画「マイ・フェア・レディ」より
歌 オードリー・ヘップバーン(マーニー・ニクソン)

1964年制作のアメリカのミュージカル映画。監督はジョージ・キューカー、出演はオードリー・ヘプバーンとレックス・ハリソン。同名の舞台ミュージカルの映画化で、舞台版の主演はジュリー・アンドリュースでした。オードリーはジュリーの当たり役を演ずるのを心苦しく思ったのか、自分の主演映画二本をジュリーに譲っています。また歌唱は自分がやるつもりで歌の特訓を受け、全曲を吹き替え歌手のニクソンとともに収録したのですが、結果は大部分がニクソンの歌唱になっています。


ロミオとジュリエット~映画「ロミオとジュリエット」より オリジナル・サウンドトラック

1968年に製作・公開されたイギリス・イタリア・アメリカの合作映画。原作はシェイクスピアの戯曲で、フランコ・ゼフィレッリが脚色・監督、従来の映画化(1936年版など)と違って、できる限り初演当時の舞台に近く、登場人物の実年齢に近づけたキャスティングということで、主役二人には十代の新人俳優を起用しました。レナード・ホワイティングとオリヴィア・ハッセーです。映画音楽の大家、ニノ・ロータが担当した音楽も評判となり、テーマ曲は映画音楽の代表的な名作として親しまれています。
私は先日、図書館の会でもこの曲を取り上げたのですが、ルネサンス時代の楽曲の特徴をよく生かした曲になっていることに驚きました。
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コメント

コメント(2)
古関裕而、最高です。
>楽器を一切使わずに頭の中だけで作曲を行う
X JAPANのYOSHIKIと同じですね。
YOSHIKIもペン・鉛筆で五線譜に書いていきます。愛用のKAWAIのピアノを弾きながら作曲しそうですが、全部頭の中で行うそうです。

古関裕而も今回の朝ドラに主人公として取り上げられて、より広く国民に知られる存在になりました。実に目出度いことです。
私はかねてより古関裕而は日本の最高の作曲家の一人だと思っていたので嬉しいことであります。
文化勲章を辞退するなんてカッコ良すぎです。
芸能人、芸術家、科学者と言った人たちは賞が欲しくてたまらない人種(病気とも言える)ですから尚更です。


会にこんなにたくさん人が集まるんですね。
ちょっと驚きです。
なかなかこんなに来てくれません。
しかもこのご時世に。

不二家憩希

2020/09/21 URL 編集返信

yositaka
Re:古関裕而、最高です。
不二家憩希さん
私はもっぱらクラシックとジャズが鑑賞の中心で、歌謡曲に興味を持ったのはごく最近のことです。蓄音機仲間の薫陶によるものです。
朝ドラに古関裕而がとりあげられたことで、関心を持つ人は確実に増えていますね。
彼の活躍の時期は私よりもひと世代前ですが、今回取り上げた曲を聴いて、すぐに口ずさめる70代の方たちの様子をみると、当時いかに民衆に親しまれていたのかが理解できます。
古関の曲は明快ですが、メロディがすんなり頭に入るタイプではありません。独特の個性があります。彼はメロディーというより、テーマ、モティーフで音楽を発想する人、つまりはクラシック系の作曲家でした。それだけに、伴奏の作り込みや、オブリガート・ソロの使い方も凝っていて、細かく聞くと実に面白く、歯ごたえもあります。

この地域サロンは、2年間の活動でほぼ町内に定着し、コロナによる中断までは、毎回30人ほどの参加者がありました。半年の空白があった上に、人数制限もするというので心配しましたが、どうにか開催でき、ホッとしています。
10月は落語を予定。それまでには、もう少し入場緩和できるかもしれません。話芸なので、透明ボードの用意など、準備も大変です。私もいちおうスタッフなので、可能なお手伝いはしていきたいと思っています。

yositaka

2020/09/21 URL 編集返信

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プロフィール

yositaka

Author:yositaka
子どもの本と、古めの音盤(LP・CD)に埋もれた「ネコパパ庵」庵主。
娘・息子は独立して孫4人。連れ合いのアヤママと二人暮らし。

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